名古屋の地形から読み解く 名古屋城と熱田神宮の歴史
先日の青春18きっぷの旅で、名古屋に行ってきました。
今回、名古屋を改めて歩いてみて、地形とともに、その成り立ちが面白いと感じたのです。
名古屋の中心部は、名古屋駅のあるあたりから少し東。
名古屋城の辺りから栄、そして、熱田神宮にかけての南北の地域になります。
地下鉄で名古屋城や栄に向かうと気付きませんが、名古屋駅から名古屋城へと東に向かうと、坂になっています。
この「熱田台地」が名古屋の街の中心として発展してきた場所なのです。
熱田台地に建つ「平山城・名古屋城」
名古屋城は、その熱田台地の北西の端に建っています。
北や西から見れば、名古屋城はちょっとした「丘」の上に建っています。
対照的に、名古屋城から南には平地が続き、現在は官公庁があったり、久屋大通・栄といった繁華街がある一帯になります。
こちらはほぼ平坦になっています。
一般的には、名古屋城自体は台地上の平地に建っているため、「平城」に分類されますが、名古屋駅の辺りからかつて見たとしたら丘の上に建つ「平山城」かのように見えます。
名古屋城と城下町の成り立ち
現在の名古屋城の場所には、かつて「那古野城」という城が建っていました。織田信長の父・信秀が居城にしていた場所でした。しかし、信長は近くの清洲城を尾張平定の間、居城として、ほどなくして那古野城は放棄されてしまいました。
その場所を、江戸時代になって、徳川家康の指示の元、子の徳川義直の居城として整備されたのが、名古屋城です。
家康が、城を清洲から名古屋に移したのも、低地にあたる清洲よりも、台地の上にある現在の名古屋城の方が見晴らしがきいて、水害に強い場所だったからだと言えます。
天下普請として名古屋城は築かれ、それとともに、城の南側へと碁盤の目状に城下町が整備されていきます。
そして、台地の西側の所に堀川が開削され、ここは名古屋周辺の水運の拠点にもなります。その南の端が熱田神宮の辺りになります。
ちなみに、現在の名古屋駅などがあるあたりは、台地の西側の低地の部分になります。
この場所に東海道本線が通されたのも、城下町の外側に当たるからです。
そう考えると、名古屋駅から繁華街の栄まで少し距離があるのも致し方がないとも言えます。
熱田神宮と宿場町・宮
名古屋で最も由緒のある神社と言えば「熱田神宮」
三種の神器のうち草薙の剣が祀られている神社です。
それだけ由緒ある神社だけに、当然、水害に遭いにくい場所にあります。
名古屋城からずっと南へと熱田台地が続いていて、その南端にあたる場所です。
この辺りに港町として熱田の町があり、ここで堀川と伊勢湾と繋がり、城下町・名古屋の水辺の玄関口でした。現在でも、熱田神宮の西側には堀川が流れていますが、ここは運河だったわけです。
ここには東から東海道が繋がり、「熱田宿」(「宮宿」)という東海道でも最大の宿場町ができました。
江戸時代には、物流・交通の一大拠点であるとともに、熱田神宮の門前町という性格を、熱田神宮の一帯は持っていたのです。
現在では、熱田神宮の辺りが、港町だった面影はほとんどありませんが、江戸時代には東海道で桑名(三重)へと渡る七里の渡しが出ていた跡が今も残っています。
台地だからこそ名古屋は発展した
今となっては、建物が高いため高低差は分かりにくいですし、干拓・埋立でかつての熱田の港の面影もほとんどありませんが、水場に近い台地の上だったからこそ、防災や物流の面でも、名古屋は発展しやすい場所だったのではないのかな、と感じる訳です。
大阪もまた、川沿いの台地から発展した町です。
関西に住んでいて、大阪に出かけることも結構ありますが、地形が大阪城の辺りと非常によく似ているように感じるのです。
そう考えると、名古屋の町のでき方も面白いと感じた所でした。
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