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考え方は、時間と共に少しずつ形を変える

前は、ディズニー映画「リメンバー・ミー」を観ると、主人公ミゲルに感情移入して毎回涙を流していました。
自分の夢を諦めずひたむきに追う姿、家族の愛を感じ、どんな危険を冒しても勇敢に、心のまま動きまわる姿。真っ直ぐなミゲルの強さに感銘を受け、生きる力をもらいました。
あまりに気に入ったのでDVDを購入し、何度も何度も見返し、大学の卒論テーマにも選ぶくらい、大好きなバイブルでした。

そんな大切な映画をこの間久しぶりに観たら、なんだか以前と違う感じ。同じ映画なのに、あんなにミゲルに感情移入していたのに、今はできなくなっていました。
むしろ、イメルダ(ミゲルのひいひいおばあちゃん・苦労して家業を成功させた)に共感するようになりました。
死者の世界で縦横無尽に駆けまわる子孫を、先祖としてずっと心配して忠告するイメルダ。
彼女を見て、以前は「もっとミゲルを自由にさせてあげてよ〜」と思っていたのに、今は「そうやんか!ミゲル!気をつけやなあかん」と、以前と180°違う感想が口からでてきて、自分でもびっくりしました。


こんな風に、以前と違う感想が出てくる事がちょこちょこあり、同じ「自分」なのに、なんだか違う人になったような感覚になります。
前のnoteでも少し触れたのですが、学生の頃は避けてきた経済ニュースも、今ではどの番組よりも画面に集中して見るようになりました。
祖父が新聞の経済欄をいつもチェックしていて、株銘柄の上がり下がりを細かくメモしている姿に「何が面白いんだろう?」なんて思っていたけど、今ではその習慣が形を変えて私にも入ってきました。
ある一定の年齢になると、経済がより身近に感じられるようになるからなのかな?


買い物の仕方も変わってきました。
学生時代は「このアイテム可愛い!」と思ったら、後先考えずに購入。
家に帰ってクローゼットの中身と照らし合わせた時「…これ、どの服と合わせようか(・・;)」と、ようやく気づき、以後クローゼットから出番を待つだけの洋服が増えていきました。
それが、今では客観的に考えられるようになり、「自分の服に合わせやすいか」「どんなシーンでも着て行けるか」をきちんとクリアした物じゃないと買わなくなったのです。

考えたら、昔は買い物時にドーパミンが出ていたように思います。「あ!好き!」とアンテナが動いたら、そのままの勢いで購入。
しかし、今は違います。「このシーンで着たい服を見に行こ〜」と、最初から目的を決めて買いに行くようになったので、無駄がなくなりました。経済的にありがたいけど、買い物で得られる快感はだいぶ減りました。


子供の頃から妙に落ち着いていて、実年齢より大人っぽいと言われる事が多かった私は、
はしゃぎ回る事もないし、本を読むのが好きだったから、大人になっても変わらず、今のままの自分でいるんだろうなぁと思っていました。
しかし、いざ大人になると、その習慣自体に変化はあまりなくても、価値観や考え方がねんど細工のようにビヨーンと形を変えているのがわかりました。
元の形は一緒でも、少しずつ、やわらかい質感で変化している感覚です。


「月日変われば気も変わる」というように、触れる時間が長いものほど、自分自身により大きな影響を与えます。
だからこそ、日々触れる情報や時間の過ごし方を気をつけないといけません。
もっとやわらかく、しなやかに生きたいと決意した私は、今日も新しいバイブル探しに出ます。📚


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