献血、排泄、ファッション躁鬱
毎回のことだがうんざりしてしまう。30回を数えた献血の経験を踏まえ、水分補給も程々に、二度にも分けて出しきって。
それでも磔台は、人体を酷く焦らせるらしい。夜行バスでも同じことが起こる。全血液、いや他の全てを献ずるから膀胱をもう1つください。
結局、全血液どころか1袋と少しで僕は看護婦さんを呼び、初めて尿意のために献血をリタイアした。迂闊に立ち上がれないのが情けない。不足が叫ばれる中、申し訳ない。残りほんの20分と経験から知っていたのだが…。
生理現象なのだから仕方ない、と人は慰めるかもしれないが、ならば同じような状況で結局失禁してしまった数多の人々を心から慰めてほしいのだ。それが難しくとも、一度たりとも飲み屋の酒の肴にしないと約束してほしいのだ。
その点で君は偉い。僕は友人宅に宿泊させてもらった時、その手の粗相をしたことがある。口の軽い同期連中から、ついにその話の漏れたのを聞いたことはない。彼は誠に立派である。
ともかく、かのような落胆を他の方法で慰める方法など、隣で同じことをしてくれるしかないため、次に人は困る。彼が泣く、みんな話を逸らそうと彼を取り巻いている。
実にくだらない…僕はたとえ一袋と少しでも自分の一部を削ったことを、誇らしく思う気持ちのいい午後を過ごせればいいものを、よく知りもせぬ現場の効率とか、予約枠とかを考え込んでは、結局どうにもできないと知ると、今度はよく見知りもせぬ人々を人質にとって、こうやってナイフを振り回し始める。
体質よりむしろ、不向きなのは心意気のほうだろうか。尿失禁よりも恥ずかしい垂れ流しである。今、この文章を読んでいる人々は何度でも飲み屋の酒の肴にしてほしい。余程ふさわしい。汚い話でもないし…。
そんな話をしても場が盛り上がるはずもないので、我慢の末粗相をしてしまったほうがマシだった気すらしてくる。せめて今日採取された血小板には不出来な親のことなど忘れて、立派に活躍してほしいものだ。
血液で人格が移るなどというオカルトも、今日ばかりは心配である。
そうしてうんと沈んだ数時間後、僕は「マシマロ」で奥田民生と出会い、えらくご機嫌になることとなった。最近は大方こんな調子だ。ファッション躁鬱とでも詰られるべきか、しかし詰った場合の面倒を知ってか、誰も言ってくれないのだ。
僕に何が足りないのか。献血の結果表から読み取れる人がいれば、ご教授ください。
マシマロは関係ない。本文と関係ない。