「車でお遍路」別格18番札所 海岸寺(日本で唯一の二王門と大師誕生仏の札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、18番目のお寺は、
納経山 迦毘羅衛院 海岸寺
別格17番札所の神野寺から約20㎞、車で約30分の場所、
海岸寺への道程は、善通寺市を抜けて海岸方面へ向かう比較的容易なので迷うことはない。
ここ海岸寺に着くとまず驚くのは山門。
通常は仁王像が睨みを利かせている筈が、日本で唯一、金剛力士の代わりに力士がお寺を護ってる!
なので、海岸寺では仁王門ではなく二王門(二力士門)だそう。
そして本堂でお参りをした後、大師堂を探しても見当たらない、そこで、住職さんに聞いてみると約400mほど先の徒歩で約5分の場所だという。
次に驚くのが、大師堂が海岸寺奥之院として独立していること。
行ってみるとそこは海岸寺奥之院として山門(四天門)がある。
そして境内には大師堂があるが、その理由を、住職さんがこのお寺について優しく境内を案内しながらご説明して下さった。
海岸寺奥之院は、大師ご母堂の玉依御前の出身地であり、大師はこの地で産まれたという。
大師誕生の地は、四国八十八箇所霊場第75番札所善通寺だと聞いていたものの、諸説あるようだ。
奥之院の大師堂には、大師が自ら彫ったという稚児大師像とご両親(佐伯直田公、玉依御前)の像が祀られているという。
では、日本で唯一の二王門と大師誕生仏の札所「海岸寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
宝亀5年(774年)6月15日、弘法大師ご誕生、奥之院の湯手掛の松あたりに産屋が建立された
大同2年(807年)、この地を巡錫中の弘法大師は、日本初真言密教を使った病気封じの法を修し本堂を建立、弥勒菩薩像を彫り(海岸寺HPより)安置して開基
弘仁6年(816年)、弘法大師は、厄除けのため自刻像を彫り大師堂を建て、奥の院を開基
天正11年(1583年)、天正の兵火に遭い、伽藍が焼亡
天正18年(1590年)、再興を期し大師堂を上棟
安政3年(1856年)、本坊再建
大正5年(1916年)、失火により大師堂など4棟全焼
大正9年(1920年)、大師堂奥殿落成
昭和9年(1934年)、大師堂落成
大師伝説
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寺号について
ご利益
御本尊の聖観世音菩薩(正観音)
・・・迷いや苦しみや災難から救いを求める全ての人に手を差し伸べる現世利益の仏さま。奥之院御本尊の弘法大師誕生仏
・・・全ての人々を永遠に救い続けてくださる弘法大師、厄除け
御本尊・ご真言
見どころ
本坊山門(二王門)
・・・昔朝鮮に王(ワン)という兄弟がおり、仏門の警固に当たったことに因み二王ともいう 二王は郷土出身の力士の顕彰を兼ねて造立
向かって右側には琴ヶ濱 貞雄(佐渡ヶ嶽部屋)、左側には 大豪 久照(花籠部屋)本堂
・・・1856年再建、御本尊に聖観世音菩薩(正観音)を祀る 天井には見事な花鳥風月の彫り物が施されている奥之院 大師堂
・・・御本尊には日本で唯一大師御真作の稚児大師、脇侍にご両親が祀られている奥之院 産井、湯手掛の松
・・・弘法大師出産の際に使われた井戸、手拭いを掛けたと云われる松などが残る屛風ヶ浦
・・・瀬戸内海を一望できる絶景スポット 浜から眺める山々は屏風を立てかけたように見えることから屛風ヶ浦と名付けられたという 大師像の後ろにある松の輪から瀬戸内海富士(高見島)を臨むことが出来る
写真
次は、別格第19番札所香西寺へ参ります。
合掌