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「車でお遍路」第81番札所 白峯寺(崇徳上皇の霊を祀る札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、81番目のお寺は、

綾松山りょうしょうざん 洞林院どうりんいん 白峯寺しろみねじ


80番札所の国分寺から約14.2㎞、車で約30分の場所、

善通寺市にある第72番札所曼荼羅寺からやや平坦な道を快適に走り漸く高松市にある第80番札所国分寺まできた。
やっと高松市と思いきや、第81番札所白峯寺へは、国分寺から北西へ進み五色台(青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の五山)の白峯を久しぶりに中腹標高約280mまで上って再び坂出市に

だけど、「五色台」は香川県のほぼ中央に位置する景勝地、比較的快適な山道ドライブを楽しめる

白峯寺は、四国で唯一の御陵となる崇徳上皇すとくじょうこうの白峯御陵を隣接する、重要文化財を数多く有するお寺

その崇徳上皇は、京都で起きた保元の乱で後白河天皇に敗れ讃岐に流され約9年間過ごした後に都に帰りたいという思いも叶わず崩御したという、悲運で無念の生涯を遂げたのです。

日本三大怨霊の1人とも言われ、明治天皇や昭和天皇が讃岐へ勅使を派遣していることを知ると関心が高まります。

では、崇徳天皇に思いを馳せる札所「白峯寺」へ参りましょう。

勅額門の奥には崇徳上皇廟所となる第75代崇徳天皇白峯寺頓証寺殿(重要文化財)


ご詠歌

霜さむく 露白妙つゆしろたえの 寺のうち 御名みなをとなうる 法のこえごえ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 弘仁6年(815年)、この地を巡錫中の弘法大師は、標高357mの白峯山頂に如意宝珠にょいほうじゅを埋めて、衆生救済を祈願して開基

  • 貞観2年(860年)智証大師は、山頂に輝く瑞光に導かれて登頂、白峯大権現のご神託を受け光り輝く霊木で千手観世音菩薩像を彫り御本尊として仏堂建立して安置

  • 保元元年(1156年)、京都で起きた保元の乱で敗れた崇徳上皇は、讃岐に流され約9年間過ごす

  • 長寛2年(1164年)崇徳上皇崩御し、白峯寺に隣接する「白峯御陵」荼毘だびに付す

  • 建久2年(1191年)後鳥羽天皇崇徳上皇の霊を祀る御廟として法華堂建立して再興

  • その後、最盛期には21坊をかぞえるほどの大寺院になる

  • 永徳2年(1382年)、火災により焼失

  • 応永21年(1414年)後小松天皇は、崇徳上皇の成仏を願い自筆の扁額「頓證寺」奉納、頓証寺殿に掲げる

  • 慶長4年(1599年)高松藩主生駒家により本堂を再建

  • 延宝8年(1680年)高松藩主松平家により再興して現在に至る

  • 慶応4年(1868年)明治天皇は、自身の即位の礼の際、讃岐に勅使を遣わし崇徳上皇の御陵を京都へ帰還させ、京都に白峯神宮創建

  • 昭和39年(1964年)昭和天皇は、崇徳天皇八百年祭に白峰御陵に勅使を遣わせ式年祭を執り行う


崇徳上皇すとくじょうこうの伝説と逸話

玉章木たまずさのき」の逸話
今も2代目として残る勅額門の前のけやきは、「玉章木たまずさのき」と名付けられ、その巻いた落ち葉を「ほととぎすの落とし文」という。

都を慕っていた崇徳上皇は、ほととぎすの鳴き声を聞き寂しく思い、
「鳴けば聞く 聞けば都の 恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」
と詠んだ。

心中を察したほととぎすは、欅の葉を巻いて嘴に挿し、静かにすすり泣くよう声を潜めて鳴くようになった。

勅額門前の欅の巻いた落葉の形が玉章たまずさ(手紙)に似ていることから、「ほととぎすの落とし文」といい、欅の木は玉章木たまずさのきとなった。


寺号について

  • 寺号について
    ・・・五色台の白峰山より「白峯寺」となる


ご利益

  • 御本尊の千手観世音菩薩
    ・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益。

  • 鎮守白峯大権現
    ・・・開運招福、商売繁盛、勝負事

  • 崇徳上皇
    ・・・悪縁断ち、芸能成就、学業成就


御本尊・ご真言

御本尊:千手観世音菩薩
ご真言:おん ばざら たらま きりく


見どころ

白峯寺は国指定の重要文化財が多く、見どころがたくさん。
(重要文化財:十三重石塔2基、頓証寺勅額、白峯寺9棟)
お参りの後は、白峯展望台で絶景を見ながら崇徳上皇に思いを馳せてみては如何でしょうか。

  • 山門(七棟門)【重要文化財】
    ・・・19世紀初頭に建てられた高麗門形式で七つの棟がある珍しい形状、白峯寺名物のひとつ

  • 本堂 【重要文化財】
    ・・・御本尊に千手観世音菩薩を祀る、慶長4年(1599年)に高松藩主生駒家により再建

  • 大師堂 【重要文化財】
    ・・・文化8年(1811年)に高松藩主松平家により再建

  • 十三重石塔 【重要文化財】
    ・・・源頼朝が崇徳天皇の菩提のため建立 2塔の材質工法は異なり、東塔は弘安元年(1278年)に花崗岩製で金剛界四佛の種子を刻み大日如来三昧耶を現す供養塔として建立。 西塔は元享4年(1324年)に角礫凝灰岩で不動三尊の種子が刻まれる信仰的造塔として建立

  • 勅額門 【重要文化財】
    ・・・
    頓証寺殿の随身門

  • 頓証寺殿 【重要文化財】
    ・・・
    崇徳上皇廟所であり、三つの社には、中央に崇徳天皇、向かって左に鎮守白峯大権現相模坊、右に念持仏十一面観世音菩薩を祀る

  • 白峯御陵
    ・・・四国唯一の御陵で崇徳上皇が眠る。陵形は方丘形。

白峰展望台 瀬戸大橋方面の眺めは最高


写真

【ご参考:第79番札所天皇寺】

次は、第82番札所根香寺ねごろじへ参ります。

2022年8月11日投稿
2022年10月11日改訂

合掌

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