「車でお遍路」第75番札所 善通寺(大師生誕の地「お大師さん」)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、75番目のお寺は、
五岳山 誕生院 善通寺
74番札所の甲山寺から約1.4㎞、車で約5分の場所、
第74番札所甲山寺は大師が幼少の頃の遊び場近くだったが、そこから車で約5分のここ、善通寺は大師の生まれた場所。
第一番札所霊山寺からお遍路をはじめて、少しづつ大師に近づいてきたと思ったところ、生誕地までたどり着いたとは感慨も一入。
善通寺は、西院(誕生院)と東院(伽藍)とあり壮大で約45,000㎡の広い境内を有する。京都の東寺、和歌山の高野山金剛峰寺、に並ぶ弘法大師3大霊跡の一つとして古くから篤い信仰を集めてきた。
唐から戻った弘法大師は、大師の父佐伯直田公が寄進した土地に、唐で師であった恵果和尚の住する青龍寺に模してこのお寺を建立、父の忌み名「善通」から寺号を「善通寺」としたという。
では、弘法大師の生誕地である札所「善通寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
宝亀5年(774年)、佐伯真魚(後の弘法大師)は郡司(地方官)の父佐伯直田公善通と母阿刀智徳の娘(後の玉依御前)の間に、この地で生まれる
大同2年(807年)、大師は父佐伯直田公の屋敷の跡地に自らが唐(中国西安市)で恵果和尚の下で学んだ青龍寺を模して先祖の菩提寺建立を発願
弘仁4年(813年)、七堂伽藍を整えて落成(東院)、弘法大師は薬師如来を彫り御本尊として金堂(本堂)に安置
鎌倉時代(1192?-1333年)、平安時代後期に始まった弘法大師信仰により、天皇や領主から帰依を受けて隆昌
建長元年(1249年)、「誕生院」を建立して、東院(伽藍)と西院(誕生院)の現在の形が出来上がった
永禄元年(1558年)、三好実休の兵火により伽藍焼失、御本尊は焼け残る
天正16年(1588年)以降、讃岐国高松藩や丸亀藩の生駒家、松平家、京極家など藩主たちの庇護を受け栄える
元禄12年(1699年)、金堂(本堂)を再建 この時、仏師である北川運長が御本尊の薬師如来を彫り、弘法大師が彫った薬師如来は胎内仏とした
昭和6年(1931年)、大本山に昇格、真言宗善通寺派となる
昭和16年(1941年)、真言宗善通寺派総本山に昇格
大師伝説
上述歴史のとおり、弘法大師は善通寺御影堂(大師堂)奥殿で誕生したという
寺号について
山号について
・・・山号の「五岳山」は、背後にある善通寺市に屏風のように連なる五岳(香色山、筆ノ山、我拝師山、中山、火上山)に由来院号について
・・・「誕生院」は、弘法大師生誕の地であることから名付けられた。
なお、現在の東院(伽藍:善通寺)と西院(誕生院)は明治時代以前までは、別々のお寺として存在したが、明治初年に一つとなり「誕生院善通寺」となった寺号について
・・・「善通寺」は、地方の豪族であった大師の父佐伯直田公善通が寄進した土地を氏寺にしたことから父の忌み名を付けた
ご利益
御本尊の薬師如来
・・・大医王仏、医王如来とも呼ばれ、十二誓願の現世利益の仏さま(病気平癒、他)その他多数
御本尊・ご真言
その他
善通寺は見どころが多いので時間に余裕をもってゆっくりご覧になることをお勧めします。
寺宝には、大師が唐の恵果和尚から授かり持ち帰った金銅錫杖頭や、大師が写経をした文字の隣に母の玉依御前が仏像を描いた一字一仏法華経序品、の国宝がある。
善通寺の見どころは次の通りですが、内容量が多すぎるため詳細は割愛します。
東院(伽藍)
・・・金堂(本堂)と五重塔【国指定の重要文化財】
国登録有形文化財6件(釈迦堂、天神社、龍王社、鐘楼、南大門、中門)西院(誕生院)
・・・御影堂(大師堂)を含む国登録有形文化財19件金銅錫杖頭 【国宝】
・・・大師が唐から持ち帰ったもの御影堂下の戒壇めぐり
写真
次は、第76番札所金倉寺へ参ります。
2022年8月2日投稿
2022年10月11日改訂
合掌