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トウモロコシと、ポモドーロと、バクラヴァと

その夕方、カザフスタンのシムケントという都市にいた。

ウズベキスタンの国境に近く、やたらと車のクラクションが鳴り響く街は、アジアらしい猥雑さで溢れている。

ホテルに荷物を置いた僕は、日が暮れる前に、中央バザールへ行ってみることにした。

初めての都市を訪れて、まずどこへ行くか迷ったときは、つい市場へ行きたくなる。

その土地の人々の暮らしを垣間見ることができる、という理由もある。

でも、それだけでなく、市場という場所は、孤独な異国の旅人にとって、一種のパワースポットだと思うからだ。

ただ歩いているだけで、自然と力が湧いてきて、気持ちまで元気で漲っていく……たぶん、それが市場なのだ。

シムケントの市場、中央バザールもまた、そんな活力を旅人に与えてくれる、魅惑のスポットだった。

肉や野菜、果物、ナッツに香辛料……色彩も豊かな品々が所狭しと並び、店員さんの威勢の良い掛け声に、たくさんのお客さんが足を止めている。

カスピ海で獲れた魚なのだろうか、内陸国にもかかわらず、いろんな種類の魚が売られている光景にもびっくりした。

そんな市場を、路地から路地へと気の向くまま歩いて、屋外に屋台が並ぶエリアを散策していたときだった。

ぐつぐつと煮え立つ鍋の中に、黄色いトウモロコシを並べた屋台を見つけた。

肌寒い中で湯気が勢いよく立ち昇り、その熱湯で茹でられたトウモロコシは、鮮やかな美しさに輝いている。

これは食べてみたい、と思った。

ただ、こんな喧騒の中でトウモロコシを食べ歩くというのも、なんだか人目が気になる。

やっぱりやめておこうか……と屋台を離れ、心を残しながら歩いていくと、道端のベンチに座り、仲良さそうにトウモロコシを食べているカップルがいた。

その2人の幸せそうな表情が、トウモロコシの美味しさを物語っているようで、思わず足は屋台へと戻っていった。

トウモロコシを売っていたのは、たぶん親子だと思う、年配の女性と若い男性だった。

僕が英語で、「いくらですか?」と訊くと、若い男性は、カザフ語かウズベク語で答えてくれる。

そこでスマホの電卓アプリを示すと、男性は「250」と押した。

なんとこのトウモロコシ、1本で250テンゲ、わずか85円ほどだという。

すぐに250テンゲを差し出すと、女性が鍋の中からトウモロコシを掴み出し、塩をささっと振ってから、僕に渡してくれた。

さっそく、道端のベンチに座って、黄色いトウモロコシに思いっきり齧り付いてみた。

その瞬間、口の中でいくつもの粒が弾け、ジューシーな甘さが口いっぱいに広がった。

それは想像なんかよりも、はるかに美味しいトウモロコシだったのだ。

夕暮れの光の中で、相も変わらず響き渡る車のクラクションをBGMに、1本のトウモロコシを味わう。

たった85円だけれど、どんなにお金を積んでも、これほどの幸せには出会えないような気もした。

もしも、あのカップルがここでトウモロコシを食べていなかったら、僕も真似することはなかったかもしれない。

オレンジ色の夕陽に照らされて、カップルに感謝したくなる頃には、もうトウモロコシを食べ終えていた。

一旦ホテルへ戻り、部屋で少し休んでから、夜の街へと出た。

ショッピングモールに入っているお店で夕食にしようかと思ったけれど、あまり良さそうな一軒が見つからない。

そこで、Googleマップで見つけた、近くのレストランへ足を運んでみることにした。

比較的新しいお店なのか、さりげなくもお洒落な雰囲気の店内は、若いお客さんたちで賑わっている。

きっと、ここなら美味しい料理を食べられるはずだ。

でも、メニューを見ながら、何を注文しようか迷ってしまった。

プロフやラグマンといった中央アジアらしい料理も悪くなさそうだけど、なんとなく今夜は、ありふれた料理を食べてみたい気もする……。

そこで、あれこれ迷った末、羊肉のシャシリクを1本と、パスタ・アル・ポモドーロを頼んでみた。

絶妙な焼き加減のシャシリクを食べ終わる頃、パスタ・アル・ポモドーロが運ばれてきた。

想像よりはお洒落だったけれど、それは確かに、そんなに珍しくもないトマトソースのパスタだった。

口に運ぶと、子供の頃から慣れ親しんだ味わいが広がって、気持ちがホッと和らいでいくような美味しさに包まれた。

あるいは、僕の姿を誰かが見たら、そんな当たり前の料理を食べるよりも、その土地でしか味わえない料理を食べた方がいいのに、と思われてしまうかもしれない。

もちろん、それもわかる。

でも、遠い異国までやって来て、何てこともないような料理をあえて食べるのも、旅の幸せのひとつだと思うのだ。

その夜、ポモドーロを食べながら過ごした時間は、なかなか良いものだった……。

そんなレストランを出て、ホテルへと戻る帰り道、一軒のトルコ風のカフェを見つけた。

窓越しに覗くと、こちらは年配のお客さんが多いようで、その楽しげな雰囲気に思わず惹かれた。

まだ夜も早かったので、僕も立ち寄っていくことにした。

席に着いて、注文したのは、トルコ風のチャイとバクラヴァだ。

熱々のチャイに、めいっぱい甘いバクラヴァ……その魅惑的な組み合わせは、ただ贅沢なだけの夜を、そっとプレゼントしてくれた。

なかなか冷めないチャイをゆっくり飲んでいると、店の中にふらっと2人の少年が入ってきた。

小学校低学年くらいの彼らは、国旗売りの少年らしく、水色が鮮やかなカザフスタン国旗を手に、店内のテーブルを回り始めた。

やがて僕のところにもやって来ると、彼らはさっそく国旗を売りつけ始めたものの、僕が言葉の通じない外国人であることに気づくと、意外とすぐに諦めて、隣のテーブルへ移動していった。

見ていると、優しそうな1人のおじさんが買ってあげただけで、あとは誰も国旗を買う人はいないようだった。

そのとき、ふと、買ってもいいかな、と思う自分に気づいた。

健気に国旗を売り歩く少年たちが可愛らしかった、ということもあった。

でも、それ以上に、昔からカザフスタンの国旗がなぜか好きだった自分を思い出したのだ。

澄みきった空のような青色の地に、金色に輝く太陽と、翼を広げて飛ぶ鷲……。

そんな僕の気持ちに気づいたわけでもないだろうけれど、諦めきれない少年たちが、再び僕のところにやって来た。

値段を聞くと、1000テンゲ、約350円だという。

ほんの小さな国旗であることを考えると、かなり高く吹っかけられている気もする。

でも、ここは気持ち良く、買ってあげることにした。

僕が1000テンゲを差し出すと、彼らはちょっとびっくりしたような、だけど嬉しそうな表情を浮かべて、国旗と交換してくれた。

他のお店へ向かうのか、少年たちがカフェを出ていくと、僕の手元には、小さなカザフスタンの国旗だけが残された。

その青色と金色で描かれた国旗を見つめながら、ふと思った。

きっと自分は、こんな何気ない時間にこそ、心を動かされてしまうタイプの旅人なんだろうな、と。

トウモロコシと、ポモドーロと、バクラヴァと。

面白い出来事に遭遇したわけでもなければ、感動的な何かと出会えたわけでもない。

でも、見知らぬ異国の街で、ささやかなものだけれど、幸せな時間を過ごしている。

たぶん、もうそれだけで十分なのだ。

ようやく冷めてきたチャイを飲みながら、こんな旅でいいから、これからもずっと続けていけたらいいな……と思う自分がいた。

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手塚 大貴
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!

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