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ときどき出る短い旅は、日常を旅の途上に変えてくれる
旅人には、長期の旅が合うタイプの旅人と、短期の旅が合うタイプの旅人がいる気がするけれど、僕は明らかに、短期の旅が合う旅人だと思う。
短い旅が好き、というよりも、普段は当たり前の日常を過ごしながら、できるかぎりコンスタントに短い旅に出るような生き方が好きなのだ。
いわば、旅と日常をゆるやかに行き来しながら生きることに心地良さを感じるタイプなのかもしれない。
長い旅には出なくてもいいけれど、短い旅には年に数回くらい出たい、といつも思っている。そして幸運にも、ここ数年は、どうにかそんな暮らしができている。
その暮らしの中で、自然と感じられるようになった気持ちがひとつある。それは、何気ない日常を送りながらも、いつも自分の周りに、ほんの少しだけ旅の風が吹いているような、不思議な幸福感だ。
もちろん、普段は旅しているわけではなく、日本のひとつの町に住み、パソコンや原稿を前に仕事をして、家族と会話したり、馴染みの店へ買い物に行ったり、たまに友達に会ったり、ありふれた日常を生きているだけだ。
でも、その日々には、いつでも旅の香りが漂っている。日常を生きているのに、長い旅の途上にいるような気さえする。それはたぶん、たまに短い旅へ出ることがもたらしてくれる、ささやかな幸福感のように思えるのだ。
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たとえば、香港を1週間旅して、日本へ帰ってくる。
当然ながら、家へ帰宅すれば、わずか1週間の旅は終わりを告げることになる。ただ、その途端に、旅のすべてが消えてしまうかというと、そうではない気がする。
一冊の小説を読み終わった後の余韻のように、旅が終わってからも、しばらくは旅の香りが残り続ける。持っていった着替えの洗濯を終えても、かばんの中身をすべて綺麗に片付けても、まだ旅の残り香は漂っている。何気なく旅先で撮った写真を見返すだけで、その土地で感じた空気の温もりや人々のざわめき、街の匂いが一瞬で甦ってくる。ふと見上げた地元の夕焼け空に、旅先で見た夕暮れの空が重なって見えることもある。
その香りは少しずつ薄れていくにしても、帰国して1ヶ月間くらいは、なんとなく日常の中に旅の余韻を感じられるのだ。
そして、その余韻がだいぶ小さくなった頃、今度は、次の旅への前奏が聴こえ始めていることに気づく。
それがたとえば、1ヶ月後に韓国へ旅に出るときなら、まだ出発してもいないその旅の香りが、日常の中にほんのりと漂い始める。ホテルを予約したり、美味しい店がどこにあるのか調べたり、どんな服を着ていけばいいのかなと考えたりする度に、その旅の香りはさらに濃いものになっていく。出発が近づき、現地の天気予報を見て、荷物の準備を始める頃には、もう周りは旅の香りで溢れてくる。
旅に出る前の1ヶ月間くらいは、ありふれた日常も、やがては旅に出るということを前提にした日々に変わっていく。だからこそ、その日常にも、旅の風が吹いているのを肌に感じるのだ。
そして、僕は再び、新しい旅へ出発していくことになる……。
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当たり前の日常を送りながら、たまに短い旅へ出る。そうした日々が与えてくれたのは、良い意味で地に足が付いていないような、ふわふわとした浮遊感だった。
もちろん、実際には、日本のひとつの町に住みながら、変わらない暮らしをしているに過ぎない。でも、それが旅の途上で、仮の町に滞在しながら、仮の日々を送っているように感じられるのだ。
もしかしたら、それは日常という場所が、「帰る場所」であると同時に、「出発する場所」になっているからなのかもしれない。どこかから「帰る場所」としての日常と、どこかへと「出発する場所」としての日常。その2つの日常がつながっているからこそ、日常が終わりとも始まりとも違う、旅の途上にある仮の空間のように思えるのだ。
後ろを向けば、遠くない過去に、旅の記憶がある。前を向けば、遠くない未来に、旅の予定がある。それはたとえば、香港から韓国へ移動する旅の途中で、日本へちょっと立ち寄った旅人のような気持ちかもしれない。
そして、たぶん、僕はそうした旅と日常の行き来が好きなのだ。常に旅をしているわけではないけれど、常に旅をしているような気持ちで毎日を生きることはできる。机の前に座って、パソコンや原稿と向き合うときも、いつもそこには旅の風が吹いている。近所の散歩道でさえ、どこか旅先で見る風景のように感じることもある。
実際の旅はとても短いものに過ぎなくても、その短い旅に挟まれた長い日常には、いつでも旅の風が吹き、旅の香りが漂っている。それが不思議と、ありふれた日常に、小さな幸福感を与えてくれるのだ。
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あるいは、長い旅に出ることの良さが、その旅が日常のように感じられるところにあるのだとしたら、短い旅にときどき出ることの良さは、日常がまるで長い旅の途上のように感じられるところにあるのかもしれない。もちろん、そこに優劣なんてなく、やっぱりどちらも、旅というものの魅力なのだ。
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