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こうして枯れていく

 例えば、金曜日にドラえもんが放送していただとか。そういう話自体や話が通じることに、安心感や懐かしさを覚えることが、もう過ぎ去った感覚になっているんだろう。

 火曜日にフェアリーテイル。水曜日にはダンボール戦機やイナズマイレブン。木曜日はポケットモンスター。金曜日にはドラえもんとクレヨンしんちゃん、そして最後にミュージックステーション。土曜日は、ウルトラマンメビウスが放送していたのは2005年くらいだったっけ。日曜日には仮面ライダーとスーパー戦隊とプリキュアも少し見て、眠気をワクワク感で打ち消すのだ。

 こう振り返ると私は大分テレビっ子であろうか。テレビがさほど面白くなくなった昨今と対照的で、おそらく私が生まれて10年くらいはテレビというコンテンツは血が通っていた気がする。夢中だった。でもそれはテレビがつまらなくなったという単純な変化というよりも、情報の発信者が爆発的に増え、多様化していることも関係している気がする。まぁ最近は、例えばyoutubeもそんなに面白くない気がするけど…😑

 私たちの時代にあった当たり前は、記憶の中で懐かしさを感じさせる(まるで無くなってしまったみたいな言い方だけど)。

 けど、もう平成も終わってしまった。ミレニアムベイビーと言われた私(たち)の世代が、無責任に新しさを彼らの親や周りの人々に感じさせていた雰囲気はすっかり息を潜めている気さえする。「えぇ、平成生まれなんですかー?古っ~」という、いつかは分からないが、いつかは絶対に聞くその驚嘆に染まった言葉が容易に想像できてしまう。

 スマホなど知らなくて、テレビに夢中になっていたこと。コロナウイルスなどなくて、マスクもつけず駆けまわっていたこと。「すイエんサー」とか、「ビットワールド」とか、だんござむら…じゃなくて「ぜんまいざむらい」とか、「やさいのようせい」とか、「仮面ライダー電王」とか、「Yesプリキュア5」とかいうものに夢中になっていたこと。それらは間違いなく、懐かしさと安心感をもたらしてくれる。でも、そういう話が通じない人たちが生まれている。というか同年代とも話さなくてなっているから、小さい頃の記憶はますます影をひそめるばかりだ。

 いつか古臭いと小馬鹿にしていた年上の人たちの感覚を、徐々に覚え始めている。そしていつか、「最近の若者は、」というしょうもない一言半句を漏らすのだろうか。ああーいやだなぁー。

 昭和生まれ。ガラケー。インターネットメディアがない。女性蔑視や家父長制の雰囲気。たくさんいた家族。みんなでテレビを見る事。鉄腕アトム。ドラム缶テレビ。会社までの通勤。

 「え、知らない意味わからない」と感じていたものが、私たちの知っているものへと置き換えられていくのだろうか。私たちの知っているものが、「え、知らない意味わからない」という感想を投げかけられるものになるのだろうか。うーん。なんというか、なんともいえない。

 まぁ無くなってもいいと思う価値観や雰囲気もあるから、否定することでもない。ただ、寂しいんだろう。盛者必衰。栄枯盛衰。会者定離。「常に存在するものなど、ない」という言葉が、重くのしかかってくる。

 新しい価値観が生まれていく。怖くもあるし、ワクワクもする。子供だった私は、大人の道を歩み始めている。けど、子供の私が消えるわけじゃない。完全に大人になるわけもない。完璧な大人も、完全な子供も存在しない。子供の自分に、大人としての自分を付け加えて、私というキャラクターが多様化していくんだ。色々な自分が生まれ、それを受け入れてくんだろう。

 私の好きな作品に、「おっさん」という曲がある。全人類聞いてほしい。さてその作品の歌詞の中に、

若い子の価値観を恨んだとて
もはや僕らの時代のスタンダードは
蓋をしてあの日に埋めていこう
心を込めたタイムカプセル

 というものがある。私(たち)が慣れ親しんだ価値観を、捨てるわけじゃない。時々大切に掘り出して浸るのもいい。ただ、それを盾にして新しい価値観をまず否定したりけなしたりするわけじゃない。時代は縷々変わっていく。

 こうして、枯れていくんだ。私も、私の価値観も。なんだろう、「バレンタイン?なにそれ?」とか言われちゃうんだろうか。「結婚してからじゃないと子供作らないってマジ?」とか、「車って"普通"に所有するもんじゃないでしょ」とか、「昆虫は食うだろ"普通"に」とか、本当にどんなビックリ発言が来るのか、ちょっとたのしみだ。

オススメの曲です!


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