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どうせ人間なんて未熟なもんよ…

SNSをやっているとがっかりするコメントの一つ。

「どうせ人間なんて未熟なもんだから、攻撃して当然だよ。」

人のコメントが目障りならわざわざコメント残すな!って話ですが、言いたい気持ちも分かります。

世の中色々渡り歩けば…というより、意識の高い人と出会うか、未熟な人間と出会うかは当人の心次第です。


引き寄せの法則が流行った時に、「念ずれば望むものが引き寄せられる」とばかりに、自分の理想を描いて強く念じて引き寄せようとしたこともありました。

でも、これって意外にも疲弊するものです。

頭では分かっていても、潜在意識にある古傷が癒されていなければポジティブシンキングを心がけていても心の奥の闇がそれを邪魔しますからね。

心に古傷を抱えてきたまま、そのまま時が流れるままに過ごしてしまったという人は沢山いるかと思います。

自分に対して否定的な態度をとる人、意見を言っても却下する人、努力を認めない人…

不平不満を垂らしている人も沢山います。

常に目の前のことばかりに囚われていると、精神的な視野も狭くなります。


でも、こういう人間を引き寄せてしまうのは、やはり自分の心に問題があるからです。

心に問題があると、何か疚しいものがあるのではないかと思いますが、当人は特に悪い事をしていないのです。

事の発端は幼少期のネガティブな出来事。

「全くあんたは何をやってもダメなんだから!」
「あんたは親の言う事を聞かなかったから失敗したのよ!」
「他所の親はもっと厳しいわよ!」
「社会は冷たいよ!」

このような絶望感を与える言葉を小さいうちから叩きつけられると、これらが潜在意識にインプットされます。

「自分は駄目な人間だし…」「世の中なんて冷たいもんさ…」

思考は現実化するかの如く、自分を否定する人、自分に冷たい人を引き寄せてしまいます。

そして、「自分はダメ人間だ」「人間なんてろくでもない人ばかりだ…」と言い続けていても、このようなネガティブな言葉は脳にインプットされてしまいます。

その積み重ねがろくでもない人間を引き寄せてしまうのです。

因果応報と言えば因果応報です。


自分の人生は自分のものだから、このようなネガティブな人生を歩みたいというのであれば、それはそれでいいと思います。


人は未熟である以上、この世に誕生しています。

「人は幸せになるために生きている」というのは間違ったことではありません。

この幸せを履き違えてしまうと、それはそれで成長を妨げられてしまいます。

人間同士が助け合い、尽くし合う世界が実現したら理想的ですが、現状ではこれは困難でしょう。

自己否定感の強い人が行う親切は裏目に出てしまいます。

それとは対照的にギバーを悪用するテイカーもいるのも実際ある話であり、親切を施せば上手く利用されて疲弊してしまうことさえあります。

でも、人として成長していくことが出来るのはギバーよりもテイカー。

与えることが出来ることは素晴らしいことです。

しかし、自己否定感が根底にあるため、それが上手くいきません。

自己否定感がある人の親切の動機は「認められたい」「褒められたい」というところ。

それでもって親切な人を演じたり、完璧な人を目指そうとします。

次第に人に甘えることさえも出来なくなり、常にどこかで心が飢えている状態に陥ります。

このような、自分を否定してしまう人には「自分にも価値がある」ことに目覚めてもらいたいものです。

これまで頑張って生きてきたこと自体が素晴らしいし、その頑張りを労っていいのです。

これを自己肯定感に運んだ上で他人に親切を施せば、良き種が蒔かれますからね。

そして自己肯定感を持てば、自然と自分を受け容れる人を引き寄せるようになります。

自己肯定感が確立するまでの間に、何度か試練の場に遭遇するかもしれません。

否定的な意見を言ってきたり…

愚痴をこぼされたり…

人の悪口を言ってきたり…


もし、否定をされたら「自分は自分」で割り切り、それでもネガティブな感情が湧くのなら、その傷付いた感情に向き合って解放します。

愚痴や悪口を言えばネガティブな感情に引きずり降ろされます。

人の足を引っ張るのはやめてほしいって思いますが、そこは相手を否定するしかないでしょう。

「そうかなあ…そうとは思わないけど…」
「〇〇さん(悪口の対象者)のこと、そんな風には思わないけどね」

スルーしかないと思います。


世の中、攻撃的な人間が多いかもしれません。

でも、人は神性というのか…自分では気付いていない素晴らしいものを持っています。

それに目覚めているか目覚めていないのかの違いです。

この素晴らしいものというのはどんな極悪人にも持っているものです。

極悪人だの他人を攻撃するような人は、このような素晴らしいものを発揮出来ずにいます。美しく咲く花の種を新聞紙で包み、その上からガムテープで雁字搦めに巻き付けているようなものです。

清々しくなれば感謝の気持ちも湧いてきますし、感謝することは健康や幸せにもつながってくるのです。


栄養や健康について様々な情報が流れています。

どの栄養素がどの症状に良いのか、どの食品添加物が危険なのか、かなり勉強していると見えて情報が発信されています。

日本は添加物王国であり、危険な食品が沢山出回っているのも事実です。

出来るだけ安全なものを摂るように心がけても、農薬や食品添加物といった有害なものを完全に避けることは出来ません。

自然の中で育った食物は、人の手を借りつつも水分や土から養分を吸い取って、光を浴びながら育ちます。

そしてその食物の栄養分を与えられ、味、食感を楽しみます。

そう考えると、自分達は自然の恩恵を受けていることに気が付くでしょう。

昔の人は御飯を食べること一つをとっても「有難たや」と言っていたもんです。

「自分は与えられている」という恩恵に気付けたことは経済力の有無関わらず幸せなことですし、それだけ人として成長している証です。

(ただ、衣食住が確保できないほど経済力がないのは幸せとは言えませんけど)


なので、人間なんて未熟だから不幸のままでいい、不平不満の中で生きることを選択すれば、それは自ら不幸の種を蒔くことになり、成長もストップしてしまいます。





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