赤の他人の鞄からチラ見えした水筒にキュンとした話
すいとうのなかみはなんじゃろな
私は水です。
けさ、散歩をしていると、後ろからついっとやってきた自転車乗りのおっちゃんに追い越されました。
白い半そでのシャツにスラックス、ママチャリのかごの中には通勤かばん。
見たところ、サラリーマンのおっちゃんのようです。
さて、その通勤かばんのくちが三分の一ほどあいておりまして、中から紺色の水筒が見えておりました。
それを見て、感じたわけです。
「キューン♡」
「なにが『キューン♡』やねん、『KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1-』ちゃうねんぞ」ということで、一体なにがどう「キューン♡」なのか、ちょっと考えてみます。
他人が生きている事実が、なんとなくかわいい。
結論、こうです。
私はあまり思いやりのあるほうではないので、たとえば満員電車で私の腕にグイグイ荷物を押し当てて知らん顔している隣人とか、ちょっと愛想のわるいカフェの店員とか、そういう人たちに対して、本能レベルで「人間味」を感じることができません。
ごく理性的に
「きっと隣人を荷物で押しつぶしているなんて気がついていないんだろうな、それくらい疲れているのかもしれないな、疲れるくらいここ数日忙しかったりするのかもしれないな」
とか、
「安い時給のアルバイトにとっては、愛想をふりまくこと自体にメリットはないよねえ。口コミ評価をあげて店の存続に命をかけなきゃいけないとか、ニコニコすること自体に快感を覚えるとか、そういう人間でなければねえ、やってらんないよねえ」
とか。
頭でじっくり考えて、「受け入れなさい相手も人間なのですよ」よ言い聞かせないと、そういった人たちの「人間味」とか「生活」とかに、思いをはせることができません。
しかし、くだんのおっちゃんの水筒が見えた瞬間、私はしごくスンナリと「おっちゃん、生きてんだなあ」と思ったわけです。
あの水筒の中身はなんだろう。
あの水筒に中身をそそいで蓋をしたのは、本人だろうか。家族だろうか。
これからそのママチャリで、どんな職場に行くんだろう。
そこにはどんな人がいて、どんな人間関係で、どんな仕事をしているんだろう。
そこにウォーターサーバーはあるだろうか。
あの中身を飲み切ったら、そこから補充したりするのだろうか。
家に帰ったら、あの水筒を流しに置いて、蓋をはずして、さて洗うのは本人だろうか。家族だろうか。
なんだか、いろいろな風景が、ぶわっと広がったのです。
当たり前に生きているおっちゃんの生活が、妙にいじらしくて、なんとなくかわいかったのです。
私はまだ、かばんを見るだけでそこまで愛おしくなれる境地には達していません。
が、その中身には、ちょっと「キュ~ン♡」としたりします。
「買い物袋から出ているネギ」みたいなものでしょうか。
ただの買い物袋だったら「フーン」ですが、ネギがミョン……と出ていると、「それを選んで手に取ってレジに通して持ち帰って冷蔵庫に入れたり刻んだり煮るなり焼くなりして皿を洗って眠る姿」が、うっすらと見えてきたりします。
なんなら、バーコードがついていないむき身のネギの情報を手打ちするレジ打ちの店員さんにまで、思いをはせたりします。
そういう、他人の生活にリアリティを感じた瞬間は、ちょっと優しくなれる気がします。
優しさに「想像力」って必須なのかもしれません。
なんかいいこと言ってる風だけど誰でも言っていそうなオチになりました。
話は変わりますが、見たらきっと優しくなれる(かもしれない)劇場アニメ『KING OF PRISM -Dramatic PRISM.1-』は、全国の劇場でまだまだ上映中です。(2024年9月4日現在)
『さっきの「キューン♡」ってなんやねん』という方は、公式にて冒頭4分が公開されておりますので、是非ご覧ください。
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