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あなたは自己中かも

自己中って聞くと、なんだか自分の思うがままに振る舞って、迷惑をかける人といったイメージがあります。しかし、実際はもっと身近な事であり、実はみんなが、はじめは自己中であり、そこから抜け出さなくてはいけないのです。


自己中とは?

検索すると、無自覚に自分が物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向とあります。結構強い言葉ですよね。「自分が物事の中心である」って、言い過ぎじゃない?そんなこと考える?そう思いませんか。しかし、無自覚にそう思っている事はあり得ることなのです。

例えば、自分が思っている色が、他の人と違ったと気づきました。つまり、色盲だったと気づいたとき、それまでは無自覚に自分が物事の中心であるように振る舞っていたと言えるのです。どの色にするか決める時に、
「この色の方が絶対にいいよ!だって、その色、他のと見分けつかなくない?」
と言っていた時、周りからは「センスないなぁ」「自分の考えを主張するために適当なことを言う人だな」「他人のことを考慮しない人間だな」と、思われることでしょう。

全く、自分ではそんなつもりないのに。
この例えでは色盲を用いましたが、実際はもっと酷いですよね。たとえば、自分の思っている正義や善が、自分のものでしかなかったら…。自分の価値観が、全く自分に固有なもので、周りは分かり得るはずのないものだったら…?

ひえぇ怖いですね。これはキルケゴールが、無限性の欠如による絶望状態と言っています。つまり、無限的に考えを広げないことから生じる、絶望です。もっと簡単にいえば、色々な人の価値観で判断できず、自分の価値観でしか物事を判断できないことによる絶望です。非常に言い得てますね。

少しそれますが、有限性の欠如による絶望状態というのもあります。それは、客観的に見ることばかりで、自分の考えを持たずに無個性となる状態のことです。案外この状態の人多いのではありませんか?とりあえず、人を傷つけないために、寛容な心を持とうとした結果、自分がなくなってしまう…。それもまた良くないことですね。

キルケゴールは、有限性と無限性は双方支え合うべきと言っています。キルケゴールの『死に至る病』は自己を知るのにとても面白いのでおすすめです。パラパラ読めず、頑張って読む必要がありますが。
『君たちはどう生きるか』(書籍の方)も、自己中についての危険性を上手く書いています。

あなたは自己中ですか?

結論から申し上げると、自己中でない人間などいないのです。皆んな、それぞれ知識が浅い部分があるので、その点においては自己中なのです。ですから、みんなに共通する普遍的事実を理解する事はとても大切といえますね。私も、こんな文を書いておきながら、これが酷い間違えだってことがありうるのです。意外と自己中って身近にあって、怖いなって感じませんか?たかが1人の自己中だったら、その人は軽蔑されるのみで済みますが、大多数の人が、同じ自己中を持っていたとしたら、恐ろしいですね。真理に集団で背いて、多数はが真理だと言う様は非常に滑稽です。1+1も5だとか言うのでしょう。怖い怖い。

どうすべき?

自分を疑い、普遍的なことってなんだろうな?と考えましょう。また、極力、人を傷つける発言は避けましょう。正しいと思っていても、正しいは確証が得られず、思うことしかできない、弱いものですから。間違っていた時に、まずい思いをするのは自分ですしね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。最後に具体的な例、まぁ私の醜い実体験を置いておきます。では。

自己中の寓話

1人の少年がいました。その少年には恋人がいて、少年は心から愛していました。世界は君のためにあると信じ、詩人的な愚かな部分を持っていました。それは、世界は自分の精神によって輝きを変えるというものでした。それを信じ、恋人のおかげで、世界が明るくなったのを経験した少年は、疑う必要すら感じませんでした。
しかし、ある時別れてしまいました。少年は苦しみました。別れによる苦しみではありませんでした。世界が輝きを失ったことに苦しみました。それと同時に今まで行ってきたことの無意味さを感じました。少年は気づいたのです。「君に負担をかけていた。君に持てるはずのないものを僕は君に持たせていた。それは、世界だ。」
今まで生きていた時間が失われてゆく感覚、自信を持って行った行動、君のためにと言って捨てた判断、その全てが苦しく思えました。
少年は苦しさから気づくことができました。恋人と別れてよかった。そうでなくては、死ぬ間際まで気づけなかった。もし、僕より先に君が死んだら、僕は不幸だっただろう。おじいさんになってから、全てを失うのだから。
少年は考えました。「これからは、ずっと残り続けるものを探そう。普遍的なものを追求しよう。僕の命が、時間を持てるように。」
少年は恋人を失いましたが、自己を得ることができました。それどころか、恋人を再び得られたのです。なぜなら、その経験は少年にとって消えることのない、大切なもの、自己の土台、少年の心に住み続けることになったのですから。

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