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フツーに政経雑談

『方丈記』いいですよね。
「ゆく河の流れは絶えずして」で始まる冒頭のリズム感たるや、正に声に出して読みたい日本語というのか、ゾクゾクする魅力を感じます。


この『フツーに方丈記』は、鎌倉時代に書かれた方丈記が今の世紀末な現代に読んでも驚くほどあてはまり、全然古くなってないよ! 人類は800年くらいじゃなんも変わらないよ! というコンセプトで読み解きつつ、どうにもこうにもイキグルシイ現代社会で肩の力を抜いてやっていく考え方のヒントが得られるのでは? という本だ。

(作者による方丈記の現代語訳も載っているが、わたしは不安定な文体が気になって読みにくかったので、単純に現代語訳や解釈が読みたい方には別の本がいいかも…)


さて、この本を読んでみてわたしが1番おもったことは、このフツーがあんまり気軽に語られないのはなんなんだろう、という点。

一般とはちょっと違うこと、いわゆる弱者サイドの話、これはおかしくないだろうか?という政治的社会的判断…そのどれもが、本来、言っちゃいけないことというわけでもないのに、なんとなく人目をはばかられている。
あるいは、真剣に語ろうとすると「真面目なカタブツ」や「意識高い系」などと揶揄され、ちょっと距離を置かれてしまう。

わたし自身を振り返っても、親しい友人や職場の仲間との雑談で話題にするようなことはない。
大して盛り上がらないし、ケンカにでもなったら面倒だし、別に専門家でもないし…わざわざ話す必要もないかな、と勝手に規制しているのだ。


ただ、その状況の問題も気づいている。
「みんな言っていない」から「無かったことにされる」というアレだ。

わざわざ旧来の保険証を無くしてマイナンバーカードを作らなきゃいけない意味ってなんなんだ?
今、この時期に最新兵器の開発に日本まで参加する理由は?
そもそも、そんなことが許されるのか?
本当に防衛費をGDP比2%にする必要があるのか?

…など、なし崩しでどんどん進められようとしている様々なことに対し、
やっぱりおかしくね? というリアクションは、健全な社会の維持のために必要な要素だとおもう。

なぜなら、それが本当にできない社会の行きつく先は今のロシアのような状況に他ならないのだから。

とはいえ、じゃあ、明日からもっと気軽に政治経済、社会な話していこうぜとすぐになるかというと、そんなこともなく。

とりあえず、近しい友人たちと「なんでそういう話できにくいんだろ?」「どうしたらもっと雑談として気軽に話せるようになるんだろ」ってところから話題にしてみようか。
最近気になった映画や本の話題なんかからの派生として、ね。

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