日常、あるいは何気ない日々の幸せについて
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僕は毎日のように同じルーティンをやって、特にこれといったこともなく、淡々と日々を過ごすことに楽しさを感じているし、そういう何気ない日々を過ごせるというのは幸せなことである。
とはいえ、それに慣れてしまって、いつも通り毎日を何事もなく過ごせることの幸せ、ありがたさというのを人は(というか僕が)ついつい忘れてしまうというか「それがあることが普通」と思ってしまうこともある。
「今年は割と平和に過ごせて良かったなあ」と思っていたのだけれど、ここにきて何がどうしたのかさっぱりわからないくらい、12月も後半のこの年末になって、一気にいろんなことが重なって起きてきて、それに対処しているうちに、なんだかヘトヘトになっていた。
まず12月に入ってから、しばらくあまり降っていなかった雪が、年末にかけていきなりドカッと降って、1日3回くらい雪よせをしたり、さらに家族が続けて体調を崩したりなどなど、他にもちょこちょことあるけれど、なんというか肉体的にも精神的にも疲労感がとてつもなく、なんだか気持ちにも余裕がなかった。
とはいえ、自分は今のところ(かなり)疲れてはいるものの、体調は崩れることなく、なんとか朝も早起きして雪よせができているし、体調を崩して家族が休んでいる間の細々としたこともなんとかやれているから、自分の体にも「ありがとう、よくやっているよ」と言ってあげたい。
こうして、ドタバタが自分のキャパをオーバーするくらいに一気にやってくると、普段の特に何も起こらない、いつも通りの日々、日常というものがいかに恵まれていて、幸せで奇跡のようにありがたいことかということがようくわかる。
特に何事も起こらない、だいたい同じような毎日に、時には「なんだか、つまらないなあ」とか「何か面白いことないかなあ」なんて思ってしまう時もあるけれど、それはとんでもないことであり、そういう特に何も起こることもなく無事にいつもの通り日々を過ごせることの尊さに自分はちゃんと気づいた方がいいな、すっかり忘れていたなと今は強く(強く)感じている。
今年も残すところあともう少しではあるけれど、やっぱり年が変わる前には「今年はいい年になったなあ、いろいろとあったけれど、やっぱり楽しかったなあ」とスッキリとした気持ちで、そして笑顔で締めくくりたいから、僕にできることはシンプルに変わらず「今ここ」を楽しく心穏やかに生きることであり、それがまた1日、1ヶ月、1年と続いていき、人生をつくっていくのだと思う。
まあ肉体的にも疲れているし、精神的にもかなり揺さぶられたけれど、それでもこうやって生きているし、今の自分の気持ちを文章に書けるくらいの心の余裕はあるのでよかった。
とりあえず大好きなコーヒーを飲んでひと息ついて、いつもの通り、自分をごきげんにさせるようにしていれば、またリカバーも早いと思うから目の前の出来事に引っ張られず、自分をニュートラルな状態に置くことを意識して、日々また淡々と過ごしていきたい。