それでも人生は(ちゃんと)続くことについて
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ここ最近ちょっと落ち込んでいたメンタルの調子もようやく、少しずつではあるけれど、上がってきたように感じている。
キツいことも、しんどいなあと感じることも、まあいろいろとあるけれど、それでも人生はちゃんと続くというのか「なんとかなるもの」だと思えるくらいにはなってきた。
きっとそれは、これまでにもたくさんの浮き沈みを繰り返しながらも、それでもこうやって、なんとか生きてきたという経験があるというのも大きい。
メンタルの浮き沈みがあると、もう毎回のように「どうにもキツいし、どうにもならない」と絶望的になるし、ひとり海の底に沈んでるような気持ちになる。
けれど、そこで何かしらの新たな気づき、学びがあったり、ふとしたきっかけでまた海面まで浮いていくことができて、また息をすることができるようになるというのか、そうやってなんとか乗り越えてきた。
だから楽観的とまではいかないにしても、心のどこかでは「今はキツいけれど、そのうちなんとかなる」という気持ちで、いつもいるようにしている。
もしかしたらキツいことと真正面からちゃんと向き合うことも大事なのかもしれない。
けれど、僕としてはそれだけが全てではないというのか、真正面から向き合えないなら、自然の流れにまかせるというのか、そのままにしておく、スルー力みたいなのもこの世界を生きていくためには大事なスキルのように感じる。
あと自分の気持ちが沈み込んでいる時は、思いっきり、わがままに生きていいと思う。
まあ僕は普段からわがままに生きているのかもしれないけれど、食べたいものを食べるとか、映画とかドラマを観るとか、やりたいことを思いっきりやってみるとか、好きな音楽を聴くとか、それこそ1日なーんにもしないでもなんでもいいから誰の許可もいらないから、自分で自分に許可をしてわがままな自分を認める、オッケーを出してあげる、それだけでもだいぶ気持ちが軽くなる。
自分の心の声にちゃんと耳をかたむけて、自分の心がやりたいことをやらせてあげる、解放してあげることは、そういう時こそきちんとやってあげた方がいい。
僕の場合も、ここ最近は特に聴いていなかった音楽をなんとなく聴くようになってから、カラカラだった心がちょっとずつ潤ってきて「ああ、またなんとか生きていけそう」という気持ちになることができたし前を向いて進めるようになった。
だから慌てる必要は全くなくて、キツくてしんどくて一歩も動けないのなら、無理をして動く必要はないし、どんどん進んで行くまわりの人たちと自分を比べることもしなくていいし、そもそも人生でそんなことは、やらなくていい。
そう思えるようになれば、どっこいしょと座って、そこから見える景色をゆっくり眺める余裕もちょっとはできるし、別にレースをしているわけじゃないんだから、自分のペースを取り戻すまで、のんびり休めばいい。
きっとそのうち、また動いてみよう、歩いてみようという気持ちになる時が来るはずだから、その時が来たら、またゆっくりとちょっとずつでいいから進んでいけばいいし、それでいいんだと思う。
人生を生きていると、まあいろいろとあるけれど、それでも人生はちゃんと続いていくし、慌てず誰かと比べずマイペースにまた進んでいきたい。