20年10/30 小説📚パロディ「痔滅の刃」No.9 第一章⑨ 🔴国民が「当たり前」と思うこと
⬜⬜ 裁判が始まる2️⃣
⬜ 裁判への失望①
炭痔郎は落胆しました。
大正デモクラシーという大衆民主主義的運動が広まる中での裁判は、当然のことながら「国民が当たり前」と思う裁きが受けられる、と思っていたからです。
しかし第一回法廷での裁判官の言動で、
炭痔郎は自分の考えの甘さに気が付きました。
恐らくは、無惨側から賄賂でも送られていたのでしょう。
⚪山本権兵衛
時の総理大臣山本権兵衛は、薩摩閥の海軍士官というエリートでありながら、当時としては異例ともいえる新潟県の平民の漁師の娘と結婚。
海軍大臣時代は、乗組員の健康管理に迄も目を配り、
カレーライスや
肉じゃが等の
栄養価の高い献立を奨励し、当時国民の3人に1人が罹患(りかん)し国民病として恐れられていた脚気を克服しました。
(陸軍の森鴎外との違いは歴然です)
山本権兵衛総理のこういった人となりと合わせて、司法も変化していると考えたのですが、そうではなかったのです。
裁判が始まる4か月前の大正3年4月(1914年)に、山本権兵衛内閣は総辞職
して大隈重信が総理大臣に就任していました。
そのせいで裁判官を含めた役人達も、政界の風向きを考えて
凛(りん)とした態度が取れなかったのかもしれません。
⚪ヤミ米を拒否した裁判官
太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、山口良忠という裁判官が
「ヤミ米を取り締まる自分が、ヤミ米をたべてはいけない」
と、葛藤して
餓死する事件が起こりました。
事の良し悪しは別として、事案に真摯に接しようとする真剣な裁判官に遭遇することはこれからも、炭治郎にはありませんでした。
対局的な話として、検事総長の職にありながら「賭けマージャン」で辞職した黒川氏のような法曹界の人間もいます。
炭痔郎はこれからの対策を考えるべく、禰痔子、山中 鹿之好、森の 市松、渋沢 栄痔らを呼びました。
痔(次)号に続く