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なぜどうでも良いはずの事が「気になる」のか。進化的ミスマッチと批判思考の問題

皆さん、私には実はノイローゼの持病があります。
強迫性障害まで行きませんでしたが、特定の小さな事が気に成ってしょうがないという感じの病気です。

身近な人の過去、政治問題、政治家の不祥事、芸能人の不倫や悪事、作家や声優の裏の顔や裏名義、とにかく小さな事柄が「気になる」そして「それらを把握したい」という妙な衝動が抑えられない感じです。
調べなくてもいい事、調べるだけ無駄な事、知らなくてもいい事、が妙に気に成って体が止まらない感じです。
「○○の真実」「○○の真相」「○○の正体」みたいな本や雑誌は売れますね。

どうしてそうなっていたのか?
最近、マンダラキャストさんという人が進化心理学や行動遺伝学から独学で推理しておられました。
(進化心理学や行動遺伝学って言うと難しそうですが実は単純です)


・すべては認知のバグ問題で起きていた、、村長を殴れば良かった時代


はっきり言うと、「細かなことが気になる」というのは認知のバグ、進化的ミスマッチで起きていると分かりました。
反政府活動に熱心な人、政治批判を常にしている人、こういう人々にも同じことが言えます。
私たちは、つい3000年前までは「小規模な共同体」で暮らしていました。狩猟や採集、簡易な農業でほとんど食べ物を得ていました。

この時代だと、「富を独占する悪い村長(プチ独裁者)をみんなでボコボコに殴りつけて、富の再分配(とみのさいぶんぱいRedistribution of wealth)を無理やりやらせること」が大切だったのです。

つまり大昔は富の独占者を監視して、みんなでボコボコにして抗議したら自分自身の共同体での待遇が良くなったのです。

しかし、そういう「小さい集落」での生きていた時代は100人、あるいは1000人程度の人口でした。この時代だと、「富を独占してる奴はいないか!!」「女を独占している奴は居ないか?」と外部を監視するのは重要だったのです。

そして女性を監視するという事も重要でした。
その女はもしかすると自分の子供を産むかもしれない。
だからその女の貞操(ていそう)を守るためにほかの男が近づかないために監視する。
これが大切でした。

小規模の社会では、「批判と監視」が生きるため、生殖するために有益だったのです。
その人の裏の顔、その人が実は悪い奴じゃないか、その人の性癖や価値観の把握、その人の過去の所業、それの情報収集が大切だったのです。

しかし、今の時代は数百万人、数千万人、数億人が「国民国家」という「超大規模共同体」で暮らしているのです。
つまり、他人を監視したり批判することは意味がなくなったんです。

だってその人と自分は結婚しないからです。
芸能人やアイドル、声優、作家さん、音楽家、その人と自分は結婚しません。
つまり自分の人生には本当は関わり合いに成らない人なんです。

その人の過去とか、パーソナリティ、どんな人間か、誰と付き合ってるか、誰とセックスしているか、誰と富の共有をしているか、、、、
それらは自分の人生に本当に関係がないんです。


マンダラキャストさん「SNSとの付き合い方」 どうしてゴシップが流行るのか

・「民主主義」という建前。実際には市民は政治を動かせない、、、村長を批判して村が変わった時代と、国家時代のバグ


政治家や政府もそうです。国民は政府を動かせません。
日本国だってとても多くの数の官僚がいて、アメリカ合衆国や中華人民共和国との外交関係もあるのです。
「国民の声」や「民意」で動くわけがないのです。

現代の国家はとても多くの人の手で動いています。なので人間の意志ではもはやコントロール不可能なのです。

政府批判や政治家への避難、国家元首(総理大臣や天皇)などへの批判は無意味なのです。
市民や労働者の声でもう政府は変わらないのです。

ソ連崩壊も実際には国民の運動では無くて、ゴルバチョフとエリツィンが意図的に計画倒産させたにすぎません。

大昔の狩猟採集時代は、村長(プチ独裁者)の独占者をみんなで批判したり殴りつける(直接民主主義)でうまくいったのです。
しかし現代は80億人が運命共同体なので「批判と監視」は意味が無くなったのです。

・悪を批判しないと、悪がのさばるのでは? という誤謬(ごびゅう)、、、それは本能からの脳の思い込みです

しかしこういう意見を聞くと、「では政府批判をしなければ、悪徳政治家はのさばるだろう。悪がはびこる世の中になる!!」っていうでしょう。

「批判と監視」が現代の超大規模社会でも有効だと思い込んでいる人はそう考えます。
それも進化的ミスマッチ、認知のバグです。

現代は村落・集落ではないので、「少数の集団による全体への影響」は善も悪も大したことがないのです。
あなたが監視している悪人の与える影響力は実は社会全体で見たらほとんど存在しないのです。

政府を批判している人、反政府活動に熱心な人々は大昔からいますが、それで政治は良くなりましたか?(そもそも最初から政府は正しいのでは?)
あなたが政府批判をやめても、政府は変わりません。悪くなるという事はありません。

政府や政治のみならず、あなたが監視している人を放置しても、その人が社会的な悪に成ることはありません!


・「こだわり」は進化(多様化)のために必要だった


どうして私は「こだわり」を手放せないのか?
どうして知らなくてもいい事を調べるのか、どうしてどうでも良いことで落ち込むのか。

それは進化的ミスマッチ(多様性化のミスマッチ)による認知のバグだと分かりました。
「遠くの人の事は考えなくてもいい。自分の人生には関係ないから」と分かるととても心理的に楽になりました。

小規模な村落時代の「監視と批判」を捨てて、自己投資・自己発信に切り替えて有意義に時間を使えるようになりました。

カップリング論争とか、二次元の世界でも同じですよね。
そのキャラクターと結婚しないし、本当は自分とは関係ない距離の存在なのに、脳のバグ(認知のバグ)で自分の身近な人だと錯覚するのです。

世間が、政治家や芸能人の不倫やスキャンダルに異様に熱心なのもこういう認知のバグを悪用した商売です。
その人は自分の人生とは関係ないのだからほっておけばいいのです。


狩猟採集社会のままの現代人







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