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カタールW杯現地観戦記〜あの瞬間、"僕"という存在は消えた〜

あの瞬間、僕という存在は消えた

「オーーー、バモニッポンーーー、ニッポン、ニッポン、バモニッポンーーー、オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!」

11月23日午後7時。ドイツとの試合が終了して1時間ほど経つが、スタジアム外では日本の応援歌が鳴り響いている。

国籍は関係ない。道行くサポーター達と握手・抱擁を交わし、記念撮影をする。少し離れた位置にいる他国サポーターからは「Japan! Congratulations!」「Enjoy it!」と祝福の言葉が飛んでくる。スタジアムの外は、日本の激闘を労い祝福するムードに包まれていた。

韓国系のメディアやドイツのYouTuberによるインタビューを受けもした。僕らは、比喩ではなく、鼻高々に、そして肩で風を切りながら夜道を歩いていた。

試合後のKhalifa International Stadium

試合会場を出ても状況は変わらずだ。駅構内、電車内でも祝福の嵐は止まらない。仕事中のはずである警備員、駅のスタッフも口々に「Japan! Congratulations!!」と声をかけてくれる。これほどまで多くの人々から祝福された経験など他に思い当たらない。改めて日本代表の成し遂げたことの大きさを感じる。

人混みに別れをつげ、ようやく宿泊先の最寄り駅についた。歴史的勝利からくる興奮の余韻に浸りながら、僕は少しずつ自己を取り戻しつつあった。
たぶん、あの瞬間、"僕"という存在は消えていた。それは僕にとって、衝撃的な出来事だった。今日はそんな体験について話そうと思う。

昂揚感なき旅の始まり

2週間ほど前、僕は成田空港にいた。現在開催されているワールドカップを観にカタールへ行くためである。
ワールドカップに行くのは今回が初めてだ。2002年の日韓大会の時は、家族含め誰もサッカーに興味を持っていなかったためテレビ観戦すらしていない。それから小中高と9年間サッカーをするわけだが、その過程でサッカーを見るのも好きになっていった。ワールドカップに行くことは、いつしか僕の死ぬまでにやりたいことの一つになっていた。

しかし、空港に到着した現在、どうも気分が上がりきっていない。ポーカープレイヤーとしてあちらこちらに行くようになって海外旅行慣れしてしまったことも原因の一つであろうが、最大の要因はカタールワールドカップの暗部を知ってしまったことにある気がした。

カタールワールドカップ開催を巡ってはいくつか問題があるのだが、その中でも、スタジアム・地下鉄といったインフラを建設するために集められた移民労働者達の過酷な労働実態は大きな問題の一つだ。貧困から抜け出すべく出稼ぎをしにきた移民たちが、パスポートを取り上げられ、極めて低い賃金(時給135円とも)、40度を超える酷暑の働かさせられることもあったという。そしてその結果6500人もの方が亡くなったとの情報もある。もし本当だとすると、想像するだけで胸が痛む。

※カタールワールドカップの問題点についての概要解説動画

ドイツのラーム、フランスのエリック・カントナといった各国のレジェンドも今回のワールドカップ開催について公然と批判し、観戦しないとボイコットを決めている者もいる。

旅の準備中、そして成田に着いた今もそういった懸念が頭の中を渦巻いていた。

いや、大丈夫っす

成田からはアブダビを経由してカタールへ入国する。使用した航空会社はEtihad Airways。マンチェスター・シティのスポンサーであるためサッカー好きの間ではよく知られた航空会社だ。その機内では、なんとワールドカップの試合をライブで観ることができる。最高だ。渡航時間中に3試合も見ることができる。

機内の様子。アルゼンチン vs サウジアラビアの試合はほぼ全ての人が観ていた。

フライト時間は10時間をゆうに超えていたはずだが、試合を見て、少し眠りについていたら知らぬ間にアブダビに到着していた。長時間フライトがこれほど短く感じられたのは初めてのことだ。

また、アブダビでのトランジット、ドーハでの入国手続きも極めてスムーズだった。何の障壁もなく、あっという間にカタールに入国することができた。

カタールワールドカップのオブジェ@空港


空港からタクシーで移動し、宿泊先に到着したのは午前4時前。十数時間後にはドイツ戦がキックオフされるので、僕らはすぐに眠りについた。



翌朝、起床してすぐに身支度をする。僕は日本を出る直前に友人に買ってきてもらった日本代表のユニフォームに身を包んだ。

鎌田選手のユニフォーム

「はい!これ、応援グッズ!」
コンタクトレンズを入れていると、後ろから声がした。今回一緒に旅をしている梨紗さんである。彼女が手に持っていたのは、赤い丸が入った白い布だった。
何かと思えば日本の国旗をあしらったはちまきである。日の丸を中心に「日本」とかかれているものと、「必勝」と書かれているものの二パターンあった。僕がユニフォーム以外何も応援グッズを持ってきていなかったため、気を利かせて貸してくれようとしたのだ。


「いや、大丈夫っす」
僕は咄嗟にそう応えた。

「…いや、必要でしょ!」
少し間が空いて、別の友人かっら言われてハッとした。
「やっぱりください!」
そう返事をして、僕は日本と記載されたはちまきを受け取った。



正直に言うと、はちまきを付けることに抵抗があった。もっと言えば日本代表のユニフォームを着ることにさえ抵抗があった。

『人と違う格好をしたい』という個性や、『他人と同じ格好をしている自分が嫌だ』というひねくれ根性であれば可愛げがあるが、僕のそれは多分もっと質が悪いものな気がしている。同じような格好をしている巨大な集団と相まみえる時、直接的な圧力がかかっているわけでもないにも関わらず、同調を強制されているような気がして、反射的に距離を置きたくなってしまうのだ。小学生の時分、塾指定のリュックサックを背負うのを嫌がっていたころからそうのだから、ある種、生理的な(遺伝や環境因子によって決定され外部刺激に対して無意識に発動する)ものな気がしている。

「N-BOX」のバック!?よりイラスト

油断したのか、そんな拗れた内面がつい顔を出してしまった。応援グッズを持ってこなかった僕に向けられた、初対面の人からの優しい善意を、反射的に踏みにじってしまった。ひとまず受け取って、付けたくなければ付けなければよいだけの話でもある。社会と隔絶した生活を送りすぎたせいか、一般的・社会的な人間関係におけるバランス感覚すら失ってしまったようだ。平静を装いながら、はちまきを受け取ったが、申し訳なさと情けなさでいっぱいだった。

受け取ったはちまきを急いで頭に巻いて僕は宿の外に出た。

ワールドカップは『お祭り』

僕らの宿泊先はAl Saddと呼ばれる地区にあり、地元の人が住んでいる趣がある。ドイツ戦の会場 Khalifa International Stadiumまでは徒歩と電車を使って30分ほどだった。

街中の建造物、道路、駅構内、電車内、そして試合会場の周囲、そこかしこにワールドカップ用の装飾が施されている。そもそもスタジアムもその周辺施設も地下鉄も、全てワールドカップのために作られたものとのことなので、当然といえば当然のことなのかもしれない。

道行くサポーターは、各国のユニフォームや伝統的な衣装に身を包み練り歩く。楽器を鳴らしたり歌を歌う者もいる。


地下鉄の電光掲示板に流れる試合情報
サポーターでごった返すJoaan駅構内

ワールドカップ”色”はスタジアムに近づくにつれ濃くなっていく。日本でも海外でもサッカーの試合を観に行ったことがあるが、そのどれとも異なる。皆どこか少し浮かれたような雰囲気を醸し出している。

伝統的な衣装に身を包む韓国サポーター
写真を撮る日本とドイツのサポーター

スタジアム付近をうろついていると、10数年ぶりに中高のサッカー部の後輩と再会した。また、浪人をしていたころの友人とも再会した。サッカーという共通項のみで、日本から8000km以上離れたカタールにて旧友達と再会することになるとは、出国前は思ってもみなかった。

中高時代の後輩の舩木渉記者

「あぁ、これはお祭りなんだ。」そう理解し始めた。国旗を飾り付けられた店々は屋台、ユニフォームはハッピや浴衣、中心にあるスタジアムはやぐらに見立てられる。特別な衣装を身にまとった、たくさんの人々が、一箇所に集まって、踊り、歌い、その空間を楽しむ。
ワールドカップというのは、ただのサッカー観戦ではないのかもしれない。サッカーという共通した好きなものがある人々が集まるお祭り的な体験なのだろう。

音楽に合わせて踊るコロンビア人と日本人

幾度かワールドカップに来ている友人が、「サッカー見に行くと言うより、W杯しに行く、っていうかんじ」と言っていたが、なんとなく腹落ちしてきた。


ドイツ戦キックオフ前の様子①


ドイツ戦キックオフ前の様子②

ドイツ戦

僕らの座っているエリアには、日本、ドイツ、その他の国のサポーターが混在している。斜め前にはドイツのウルトラス(熱狂的サポーターグループ)が陣取っていたため少しだけアウェー感を感じた。しかしあのドイツ、通算4回もワールドカップを優勝しているドイツと本気の勝負をするのである。自然と気持ちが高ぶってきた。

ドイツ代表のスターティングメンバー

国歌斉唱。君が代がスタジアムに流れる。そして試合が始まった。
試合展開については以下に割愛する。

1次リーグ 日本代表 第1戦 対ドイツ

※FIFAのハイライト動画はこちら

日本がワールドカップという本気の舞台で、優勝候補を破ったことは過去一度たりとない。今日、日本は歴史的な勝利を収めたのである。
こうして我々は歓喜の渦に飲み込まれた。

覚えていない

『あの劇的な試合展開、その際のスタジアムの様子について詳細に書いてみよう』はじめは、そう考えて筆を執ったのだが一向に書き進めることができなかった。ひとつ上の『ドイツ戦』の章が短文になっているのはそのためである。

なぜ書くことができなかったか? それは、試合展開に関しての記憶が断片的であり、スタジアムの様子、特に自分とその周囲の様子にいたっては、ほぼ覚えていなかったからである。もちろん、ゴールシーンくらいは記憶にある。しかしそれさえも仔細に描写することができるほど強固な記憶としては残っていない。
試合終了後に、はっきりと覚えていたのは、高揚・絶望・緊張・歓喜・感動といった、感情の変化の過程くらいのものであった。

日本がドイツを破るという歴史的快挙を前に記憶が飛んでしまったのか?
そう考えてもみたがどこか違う気がした。

そんな時、僕らの席のすぐ前にいたイギリス人YouTuberのことを思い出した。近々、「今日の動画を上げるから見てくれ」と彼は言っていた。

狂乱の中に溶ける

そこに映っていたのは、自分とは思えない人物だった。いや、姿形は紛れもない自分である。しかし、その様子がおよそ自分のものとは思えなかった。
日本がチャンスを迎えれば立ち上がり、ピンチの際には自然と手を合わせて祈っている。拮抗した時間帯には大声でチャントを歌い、失点時には肩を落とす。ゴールの瞬間には叫びながら飛び跳ね、周囲の人々と共に揉みくちゃになっていた。

※詳しい様子は動画の4:00あたりから

動画を見ることで、当時の記憶と感覚が蘇ってくる。
前田選手がゴールネットを揺らした瞬間(結果的にオフサイドだったが)、それが始まりだった。
試合展開に応じてスタジアム内の雰囲気は大きく変化する。そして僕の心も身体も大きく揺れ動き始めた。PKの際には緊張しながら手を合わせて祈り、失点時には頭を抱えている。ドイツの2点目か!?というシーンでは絶望した様子だったが、ゴール取消確定後は安堵した表情だった。攻撃的な選手を次々と投入し攻撃を畳み掛ける様に自然と声援を送り、堂安選手の同点ゴール、浅野選手の逆転ゴールの際には飛び跳ねながら喜びを爆発させている。
試合展開、スタジアムの雰囲気、周囲のサポーターの挙動、それらと同じリズムで僕の心身は動いていた。
勝利を決定づけるホイッスルが鳴った時、サポーターは喜びを爆発させた。叫び、飛び跳ね、抱き合い、目には涙を浮かべていた。


おかしい。

カタールワールドカップの闇を知って気分が乗っていなかったはずだ。
根深い同調への嫌悪、すなわちユニフォームを着てはちまきを巻いて皆で応援することには抵抗感があったはずだ。
しかし、そういったメタ的な、別視点の自分は、あの瞬間、存在しなかった。

そうだ、あの瞬間、僕は消えた。
自分と周囲を区分する境目が溶け、周囲と合一した。そんな感覚を覚え、それは幸福でさえあった。

祝祭的興奮

サッカーの試合を観に行ったことは何度かある。今年に限っても、PK戦にまでもつれ込んだACL準決勝(浦和レッズ vs 全北現代戦)や、収容人数60,000人のスタジアムに駆けつけた54,000人の熱狂的フランクフルトサポーターと共に見た試合は熱い試合だったと言ってもいい。しかしこんな状態に陥ったことは一度としてなかった。
いや、それどころか生まれてこの方、こんな体験をしたことはないのではないか。そんな気がした。


これは一体、何なのか?


ぱっと思いついたのは”フロー状態”と呼ばれるものだ。遊び事に熱中していていつの間にか時が経ってしまっていたときの、”あの” 感覚だ。目の前の対象(今回で言えば日本 vs ドイツ戦)に没入しているという点では近い状態であると感じる。
しかし、感情の起伏の度合い、そして何より周囲との合一感という点も加味すると、ドイツ戦での体験は異なるものだったと感じる。

そこから、もう一つ記憶を掘り起こしてみて思い当たったのが祝祭的興奮だ。

自然界から分離し、孤立感から逃れる新しい方法を見つけたい・・・そうした目的を達成する一つの方法が・・・祝祭的興奮状態である。いわばお祭りの乱痴気騒ぎのようなものだ。・・・原始的な部族に見られる多くの儀式は、この種の解決方法をいきいきと示している。

『愛するということ』 by エーリッヒ・フロム

ハロウィンにせよ何にせよ ”お祭り騒ぎ” を斜に構えて見がちな僕は、「そんなもので孤立感が消えるわけがないだろう」穿った目でフロムのこの文章を読んでいた。しかし、まさに僕が体験したのは、この状態なのではないか。そう直観した。

つかのまの興奮状態のなかで、外界は消え失せ、それとともに外界からの孤立感も消える。そうした儀式は共同で行われるので、集団との融合感が加わり、それがこの解決法をいっそう効果的にする。

『愛するということ』 by エーリッヒ・フロム


興奮状態の中で、外界は消え失せ、集団と融合した感覚を覚え、孤立感は消え去った。試合という観戦対象に没入し、応援するサポーターと合一した感覚があった。


祝祭的興奮状態は試合が終わっても続く。他国サポーターからの祝いの言葉が飛び交う中で握手をし記念撮影をする。時に彼らも交え、飛び跳ねながらVamos Nipponを歌う。


この現象が何によって引き起こされたのか、そこのところはよく分からない。日本代表という集団への帰属意識か、サッカーという自分が好きで取り組んでいた対象が故の感情移入か、4年に一度しかないワールドカップというイベントの希少性か。詳しいことは何かしらの専門家の分析に任せたい。
ただ、僕の身に起きたことを僕なりの言葉で記すなら、ワールドカップという祭りで、祝祭的興奮状態にいたり、僕の自我は消失した。ワールドカップにおける熱狂は、一種の合一体験だった。今回の体験は僕の中でそのように整理された。


祭りの後に

歳を重ねる中で、感情のコントロールが上手くなってきた。期待しなければ怒りも失望も悲しみも発生しづらくなる。感情的になることがデメリットにしかならないポーカープレイヤーになったことも関係しているかもしれない。いつからか何かを願うことも、夢見ることもほとんどなくなった。”大人になった”と言えるのかもしれない。

大会が始まる前、スペインとドイツにはどうせ勝てないと思っている自分がいた。本気のドイツ、本気のスペインと戦えること自体が貴重なのだから結果はどうでもいいのだ、そう諦めていた自分がいた。
しかし、あのドイツ戦、その後のコスタリカ戦、スペイン戦、そして先日のクロアチア戦。僕は日本の勝利を信じ本気で願っていた。試合展開に一喜一憂し、日本代表の躍進に心躍らされ、感動した。敗北した際には悔しさのあまり涙で目が潤んだ。


クロアチア戦から少し日が経ったが、未だに様々な思いが交錯している。どう総括すべきか、難しい。
先述した通り、ワールドカップが人命や人権を蔑ろにしてまで行われるべきだとは思わない。その意味でドイツ代表の抗議活動に共感する自分もいて、安易にこの大会は最高だったと言うことはできないと感じる。

しかし、ワールドカップが、国を跨いで多種多様な人々との友好的な交流の場になっていること。そして、人々を熱狂させ、その心を打つ数多の物語を作り出すものであること。その凄さ、つまりはワールドカップの持つ力の凄まじさを現地で体感した。
「祝祭的興奮」、「合一体験」などと小難しく書いたが、結局のところ、これだけ多くの人々が熱狂できるイベントの凄まじさを身を持って理解したのだ。

「俺らはアルゼンチンを倒したんだお前らもやれる」と、ずっと応援してくれたサウジサポ


ジャイアントキリングを起こしたアジア国同士、サウジサポとは仲良くなりがち



日本サポ・宿泊先の人たちと記念撮影


日本代表が当初掲げていた目標、新しい景色はベスト8だった。残念ながらその目標は今回も達成できなかった。しかし、ドイツ・スペインという超強豪2ヶ国を、あの内容で倒したこと、それは日本のサッカー史に確かな1ページを刻んだし、新しい景色だったと思う。

そして、ワールドカップとそこで躍進したサムライブルーは、悪い意味で冷めてしまっていた僕に我を忘れるほど熱狂するという体験をさせてくれた。それは僕にとって新しい景色だった。日本代表の選手、監督、その関係者の方々、そしてワールドカップに連れて行ってくれた友人たちには心から感謝したい。

次はどんな景色を見せてくれるのか。ここから3年半、次のワールドカップまでが本当に楽しみである。
その日が来るまで、「日本」と書かれた紅白のはちまきを大切に保管しておこう。


おまけ写真


ドイツ戦後。浪人時代の友人とその家族と。
ドイツ戦翌日の現地紙


前菜:フムスほか


ラムチョップ
ドーハ最大の市場:スーク・ワキーフ①
スーク・ワキーフ②
スーク・ワキーフ③



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