タケイチ

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安心な僕らの旅路に

 今年も京都音楽博覧会が終演した。  初開催の2007年から毎年観てきたけれど、今年のくるりの演奏は過去18回の中でも指折りだったと思う。それくらい素晴らしかった。  そしてくるりだけでなく、他の出演者の演奏や歌声も大変素晴らしかった。  いろいろと感慨深い気持ちになって感想は尽きないけれど、ひとつだけ。くるりのステージで演奏された『ばらの花』について書き残しておきたい。  『ばらの花』はくるりのライブでは最もたくさん演奏されている楽曲だけれど、弦楽でちゃんとアレンジさ

    • 忘れられてしまうすべての君へ

       くるりの新しいアルバム『感覚は道標』に収録されている『朝顔』という曲がとても素晴らしい、ということについてちゃんと書き残さなければと思っていたが、いつのまにか時が過ぎてしまった。  この曲をはじめて聴いたとき私は、(おそらく他の多くの人が感じたように)彼らの代表曲でもある『ばらの花』を思い出した。  これはセルフライナーノーツで岸田氏自身が“『ばらの花』オマージュ”と書いているように、“「禁じ手」”を解禁したという楽曲制作による効果が大きいだろう。  そしてこの追憶の音

      • 音楽を聴くことの外側にあったもの

         CDショップのペラペラとしたビニール袋の質感、CDを袋から取り出すときにテープを剥がす、その粘着力が強くてビニールがすこし伸びてしまう感じ、ケースの透明フィルムを捲るのに引っ掛かりを探る爪先のもどかしさ、フィルムが静電気で手に引っ付いたときのくすぐったさ、帯を折り目に沿ってたたむ感触、歌詞カードを抜き取るときの慎重さ、紙の手触りと匂い、指を広げてCDの端を掴みプレイヤーにセットするときの力加減、再生ボタンを押したあとの読み取りの電子音とCDがカラカラと回りはじめる音、それら

        • 自由意志について

           つまるところ自由意志があったとして、人生の一回性(或いは時間の不可逆性)を乗り越えることができない限り決定論的なものからは逃れられない、いくら未来が確率の重ね合わせの中にあってもそれらはやがてたったひとつの現実に収斂されていくし、仮にそれが自由意志によって選択されたものだったとしても私はそのたったひとつを生きることしかできない(もし別の現実を生きている私がいたとしてもそれはまた別の私であって、これを書いている私ではない)のだから、あらゆる命題は「主体(私)とは何か」という問

        安心な僕らの旅路に