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自由意志について

 つまるところ自由意志があったとして、人生の一回性(或いは時間の不可逆性)を乗り越えることができない限り決定論的なものからは逃れられない、いくら未来が確率の重ね合わせの中にあってもそれらはやがてたったひとつの現実に収斂されていくし、仮にそれが自由意志によって選択されたものだったとしても私はそのたったひとつを生きることしかできない(もし別の現実を生きている私がいたとしてもそれはまた別の私であって、これを書いている私ではない)のだから、あらゆる命題は「主体(私)とは何か」という問いに飲み込まれていくのではないか、ということを私はいま考えているのだけど、話は変わって、昨日アマプラで「君の名は。」を観て、途中で何度も涙を堪えながらも最後のシーンで号泣してしまった。
あんなのずるい。

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