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【強姦の歴史3】19世紀フランスにおける性犯罪法と社会の変容:法的認識の進化と新たな課題【本要約】
19世紀のフランスは、性犯罪に対する法的・社会的認識が大きく変化した時代でした。
この時期、法の厳格化と細分化が進み、「精神的暴力」という新しい概念が導入されるなど、性犯罪に対する理解が深まっていきます。
同時に、都市化や労働環境の変化に伴い、新たな形の性犯罪も出現しました。
本記事では、19世紀フランスにおける性犯罪法の変遷と、それに伴う社会の反応について詳しく見ていきます。
法制度の進化、都市と地方の対応の違い、そして法医学の発展がもたらした影響など、多角的な視点から当時の状況を探ります。
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第1回👇
犯罪観の変遷
法の厳格化と司法の関心
19世紀は法の厳密さが増していく時期でした。
強姦事件の立件数に大きな変化はなかったものの、司法関係者は常にこの問題に関心を持ち続けました。
強姦に対する認識の変化
19世紀初頭、強姦は遅れた犯罪と見なされていました。
当初は農村や劣悪な環境と結びつけられ、都市は強姦と無縁だと考えられていました。
しかし、時代とともにこの認識は徐々に覆されていきました。
犯罪報道の変容
刑罰を見世物として扱う時代は終わり、犯罪の存在は新聞記事などの読み物を通じて伝えられるようになりました。
感情に訴えかける新聞記事は、新たな犯罪文化を生み出しました。
たとえば、ガゼット紙は犯罪の蔓延を報じながらも、それが田舎にしか存在しないと主張するという矛盾した報道を行っていました。
コントルファット事件とその影響
1826年以降、『ガゼット・デ・トリビュノー』紙は、イタリア人司祭による児童への性的暴行事件を連載記事として物語化しました。
この報道は「法の下の平等」を主張し、司祭の早期釈放に対する騒動を引き起こしました。
その結果、司祭が襲撃され、抗議者の一人が投獄されるなど、新たな社会的緊張をもたらしました。
この事件は、犯罪報道が社会に与える影響の大きさを示す象徴的な出来事となりました。
性的暴力と法
性的暴力の法的定義の進化
1810年の刑法で、強姦と強制猥褻が初めて区別されました。
331条は、性別を問わず「慎みを害しようという意図のもとに個人に対して暴力をもって行使された」行為を犯罪と定義しました。
これにより、現代でいう「セクハラ」も犯罪の序列に組み込まれ、1881年にはくちづけが「強制猥褻」と判断されるなど、性的暴力の定義が拡大しました。
未遂罪の断罪と法廷での現実
19世紀には未遂罪も断罪の対象となり、意図と事実の結びつきが強調されました。
しかし、実際の法廷では強姦未遂を強制猥褻として扱うなど、罪の矮小化が見られました。
一方で、子どもへの性的暴力は特殊な扱いを受け、強制猥褻として分類されることが多かったものの、有罪率は成人女性への犯罪より高くなっていました。
精神疾患と犯罪の関係
刑法64条は心神喪失状態での犯罪を免責する可能性を示しました。
これにより、「錯乱のない狂気」や「色情狂」などの概念が生まれ、性犯罪と精神疾患の関連が議論されるようになりました。
しかし、法廷はこれらの概念を全面的に受け入れることはなく、1833年には精神病の被告を有罪にするなど、犯罪者の責任を重視する姿勢を示しました。
性別による不平等な扱い
1810年の刑法は、男女の不平等を復活させる側面がありました。
特に姦通罪において、夫のみが妻の姦通を通報でき、罰則にも男女差がありました。
これは、革命時に廃止された法の復活を意味し、性別による不平等な扱いを制度化しました。
この法体系は、性的暴力に対する社会の認識と、それを取り巻く複雑な問題を反映しています。
法の進化と共に、性犯罪に対する理解も徐々に変化していきましたが、同時に新たな問題も生み出されていったのです。
「精神的暴力」の概念と性犯罪法の進化
肉体的暴力から精神的暴力へ
19世紀初頭、強姦は主に肉体的暴力によって定義されていました。
しかし、1827年のバンフェルド司祭事件を契機に、「精神的暴力」の概念が法的議論に登場しました。
これにより、暴力の定義が拡大し、法的問題が生じました。
子どもに対する精神的暴力の認識
1832年の刑法改正で、11歳未満の子どもに対する暴力を用いない性的行為も犯罪と認定されました。
1863年には、この年齢が13歳に引き上げられ、さらに未成年者に対する家族内の性的攻撃も処罰の対象となりました。
これは、家庭内の「無権利地帯」をなくす努力の一環でした。
成人女性に対する精神的暴力の認識
1857年、成人女性に対する精神的暴力も法的に認識されるようになりました。
「同意がない」ことや「意志に反する濫用」という概念が導入され、被害者の権利が明確化されました。
法医学の進展と課題
1860年代以降、法医学の発展により、性犯罪の程度を身体的痕跡から判断する試みが行われました。
ペナールによる「部分的断裂」の定義やラカサーニュの「会陰性交」の概念が登場しました。
しかし、これらの基準は批判も受け、テイラーは法医学的判断のみに頼ることの危険性を指摘しました。
法医学の限界と被害者への影響
法医学の発展は、皮肉にも被害者を不利な立場に追いやる結果となることもありました。
特に子どもの被害者の場合、強姦の痕跡をオナニーの習慣と誤認するなど、被害者に罪のレッテルを貼るケースも見られました。
この時代の法と医学の発展は、性犯罪に対する理解を深める一方で、新たな問題も生み出しました。
精神的暴力の概念の導入は重要な進歩でしたが、その適用や解釈には多くの課題が残されていました。
性犯罪法の変遷と社会の反応
法の細分化と罪の軽減
19世紀、法律の細分化が進み、性犯罪の無罪や黙殺は減少しました。
しかし同時に、罪状が本来よりも軽減されるケースも増加しました。
特に成人女性に対する強姦は、公共の場での目撃証言がなければ法廷に持ち込むことが困難でした。
都市と地方の対応の違い
都市部では犯罪者を厳しく罰する傾向がありましたが、地方では被害者の社会的地位の低さから調停が優先されることが多かった。
被害者の多くは雇われた子どもや召使い、未亡人など社会的弱者でした。
都市化と新たな問題
都市部では、労働者や移住者の増加に伴い新たな形の性犯罪が発生しました。
特に子どもの就労と性的暴力の関連が懸念され、1841年には児童労働法が制定されました。
また、1835年にはパリに「プティット―ロケット」という子どものための特別な監獄が設立され、子どもと問題のある成人を分離する試みが始まりました。
教育者や聖職者による犯罪の増加
19世紀半ばには、教師や聖職者による性犯罪が注目されるようになりました。
アンヌ―マリー・ショーンの研究によると、被告の約4%がこれらの職業に就いていたとされています。
この傾向は、強姦者の心理に対する関心を高めることにつながりました。
法と社会の変化
これらの変化は、19世紀の法制度と社会の変容を反映しています。
法の細分化や新たな施設の設立は、性犯罪に対する社会の認識の変化を示しています。
同時に、都市化や労働環境の変化が新たな問題を生み出し、それに対応するための法整備が進められました。
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新たな犯罪観
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