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【強姦の歴史4】19世紀末における性犯罪の科学化とその限界【本要約】

割引あり

19世紀末のヨーロッパ社会は、科学的実証主義と社会改革の機運が高まった時代でした。
特に1880年代から1900年代にかけて、医学、心理学、犯罪学などの諸科学が急速に発展し、それまで単なる道徳的・宗教的な文脈で語られてきた社会病理の問題が、科学的な研究対象として再定義されていきました。

この時期は、都市化の進展と産業革命の進行により、伝統的な社会構造が大きく変容する一方で、新たな社会問題が顕在化していました。
特に注目すべきは、司法制度と医学の領域における「科学化」の潮流です。
犯罪現象の理解において、それまでの道徳的判断や個人の責任という枠組みから、環境要因や病理学的要因を重視する新しいアプローチへと転換が図られました。

さらに、この時代はメディアの発達により、犯罪報道が社会に大きな影響を与えるようになった時期でもありました。
特に性犯罪に関する社会的認識は、科学的な知見の蓄積とジャーナリズムの発達により、大きく変容することとなります。

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第1回👇


児童性犯罪の再定義

成人・児童被害の差異化

1880年以降、司法制度において重要な転換点が訪れ、成人に対する性犯罪と児童に対する性犯罪を異なる性質のものとして区別する新たな法的解釈が確立されました。
特筆すべきは、1895年の『刑事犯罪総勘定書』における編集者の見解であり、児童への性的加害行為を「邪悪な性的倒錯」として特徴づけ、独立した研究対象として扱うべきとの立場を示しています。

精神病理学的解釈の台頭

この時期には、児童に対する性犯罪の解釈において、精神医学的なアプローチが主流となっていきました。
犯罪の原因として、遺伝的変質やアルコール中毒などの病理学的要因が提唱されています。
このような理解の枠組みの変化は、結果として犯罪発生率の低下に寄与した可能性が指摘されています。

近親姦の社会学的分析

ポール・ベルナールの研究により、近親姦の問題が社会科学的な考察の対象として浮上しました。
ルグリュディックの1896年の統計によれば、性的侵害事件の12.68%が近親姦であったことが明らかにされています。
これらの事例の背景には、家父長制における権力構造の問題が存在していましたが、当時の解釈では主として貧困とアルコール依存が原因として指摘されました。

社会的反応と報道の変容

児童に対する強姦殺人事件への社会的な嫌悪感は急激に強まり、ときには群衆による私刑を避けるための特別な護送体制が必要となるほどでした。
しかしながら、統計上の事件発生件数は減少傾向を示していました。
同時に、これらの凶悪事件は、メディアによって商業的に利用される傾向が顕著となっていきました。

「強姦者」の学術的研究の変遷

身体的特徴による初期の研究アプローチ

19世紀において、強姦者に関する初期の研究は身体的特徴の分析を中心に展開されました。
これらの研究の多くは体系的な一貫性を欠いていましたが、特筆すべき知見として、児童への性的加害者に性的不能の傾向が見られるという観察が確立されていました。
しかしながら、1890年代に入ると、犯罪者を特定できる身体的特徴という概念は学術的な支持を失っていきました。

学際的アプローチの確立と診断基準の発展

1886年を転換点として、犯罪学と心理学の学際的な研究協力が本格化しました。
この時期の代表的な研究者であるクラフト―エビングは、犯罪行為と精神病理の体系的な対応関係の確立を試みました。
特に14歳以下の被害者に対する性犯罪について、加害者の特徴を「男性らしさの欠如、ずるい性格、無能」という観点から分析し、理論化を進めました。

診断概念の確立と用語の発展

20世紀初頭には、児童への性的加害に関する医学的概念が整理され始めます。
1906年にアンドレ・フォレルによって提唱された「小児嗜好」という用語は、その後、より専門的な医学用語である「小児性愛(ペドフィリー)」へと発展していきました。
この用語の変遷は、当該現象に対する医学的理解の深化を反映しています。

性犯罪者の社会学的考察

「普通」と「異常」の境界線の曖昧性

性犯罪者を社会から隔絶された存在として捉える見方に対する批判的考察が展開されました。
特に注目すべきは、サディズムの分類学における逆説的な現象として、性的倒錯と幼児的行動が同一カテゴリーに分類されながら、社会的な受容性において著しい差異が存在する点です。
この観点は、モーパッサンの『プティット・ロック』における「個人としては可能だが、集団としては不可能な行為」という洞察によって文学的にも表現されています。

性犯罪における「近接性」の問題

犯罪学的見地から、加害者の多くが被害者の生活圏内に存在するという重要な知見が明らかにされています。
この「近接性」は、加害者が被害者やその環境に関する詳細な知識をもつことで、犯行を容易にする要因となっていました。
さらに、1907年の『公衆衛生と法医学年報』において、ポール・ブルアルデルは、性的暴力を「欲望の挫折」の帰結として理論化しています。

連続殺人犯研究と司法精神医学の発展

19世紀末期における犯罪分析の進展により、「シリアル・キラー」という新しい犯罪類型が学術的な注目を集めることとなりました。
代表的事例としてジョゼフ・ヴァシェの事件が挙げられ、その残虐性と計画性は当時の犯罪学に大きな影響を与えました。
この事例は、犯罪者の責任能力に関する法的・医学的議論を活性化させる契機となりました。

法と医学の交錯

司法システムにおいて、裁判官と精神科医の間で被告の責任能力に関する解釈の対立が顕在化しました。
当初は法的責任を重視する司法の立場が優勢でしたが、特異な事件の発生を契機として、「変質」という神経生理学的概念が導入され、性犯罪者に対する医学的理解が深化していきました。
この過程で、法的判断と医学的診断の統合が模索されることとなりました。

性犯罪被害者の医学的・法的処遇

精神医学的理解の限界性

19世紀末期の精神医学において、被害者の心理的外傷(現代的概念におけるトラウマ)の存在は認識されていたものの、学術的知見の不足により、その重要性は著しく過小評価される傾向にありました。
当時の医学的・社会的関心は、主として処女性の喪失と道徳的堕落のリスク
に集中しており、被害者の精神的苦痛は二次的な考慮事項として扱われていました。

司法手続きにおける被害者への配慮の欠如

裁判過程において、真実究明という司法的要請が最優先され、被害者が尋問過程で経験する心理的負担や証言に伴う精神的苦痛は、実質的に看過されていました。
このような司法実務の在り方は、被害者の心理的回復を著しく阻害する要因となっていたことが指摘されています。

社会的防衛策としての監視体制の確立

この時期の特徴的な社会的対応として、児童に対する監視体制の強化が挙げられます。
司法判断においては、被害者の保護者に対して監護責任の不履行を問う事例も出現しました。
こうした社会的防衛策の強化は、結果として性犯罪の発生率の抑制に一定の効果をもたらしたことが確認されています。


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