秘密の森の、その向こう
ポップコーンは買わない。vol.126
あらすじ
死別の辛さ
死別の辛さについて考えていきたいと思っている。
数年前、遠方に住んでいる叔父が亡くなったということを知った。
自分は正直現実として受け入れられていなかった。いまだに信じられてい信じられていないところがある。形式的に仏壇の前で手を合わせることがあっても遺族の叔母や従兄弟との会話の中で話題として叔父のことを挙げることができなかった。それには、叔母への配慮が最大限あったのだと思う。でも、今となって話しておくべきだったのかなと思い始めている。叔父の死をなかったことにしようとしている自分が何だか許せない。
本作に登場する、マリオン(ニナ・ミュリス)はおそらく母との死別を目の前にしてすぐには向き合いたいくない、受け入れたくないという気持ちが強かったのではないか。
私の場合、叔父だったのだが遠方に住んでいたとはいえ、一年に一回は必ずと言っていいほどあっていたし、大学進学の際にも多分に世話になり、引っ越し後も世話を焼いてくれたが故にそのショックは大きかった。これがさらに近い存在である。両親や祖父母だった場合のことを考えると、マリオンの気持ちもわかる気がする。
ネリーの存在のコミカルさ、神話にでてくる天使みたいな感じ
大切な存在が死別してしまい、マリオンは母の住んでいた自分の生家に戻って遺品を整理することになる。そこには娘のネリーと旦那(ステファン・バルフェンヌ)も同行する。
冒頭から感じるネリーの絶妙な表情、言動、行動を示していて、ある種人間離れしているような感覚を感じるのだ。これは表現が難しい。。神話に登場する神のような感じもある。
設定は8歳だったかな。女の子が故の自我の芽生えみたいなものの早さも相まって、無邪気な部分も持ち合わせながら、自分を持っている凛とした姿も一方で見え隠れする感じが絶妙で、素晴らしいなと思った。
終始ネリーの言動がコミカルというか、こちらが癒されるような感覚があった。
旦那の悟ってる感じは表面だけで、裏を返せば弱々しい部分も多分にあるのではないか?
旦那も旦那で、喪に服していることもあるのかもしれないが、語り口がとても優しくて、いろんなことを諦めている感じ?悟っているような感じ?が見られて、心地よかった。近年では稀に見るまろやかな男性像を見ることができた。
それゆえに裏では実はストレスめちゃくちゃ抱えているタイプなんじゃないかなって思ったり、死別の辛さに耐えきれなくなったマリオンが出ていってしまうことに対してもあまり物怖じしない感じも見ると、あまりに言動が弱すぎて情けない部分も多分にあるんじゃないかなって思ったりるわけだね。子供の前でタバコを吸ってしまうシーンも相まって。笑
窓開けてるのに全然煙が外に出て行かずに中に入り込んでしまっているところを見ると、絶対ネリーに受動喫煙させちゃっているでしょっていう意外と配慮が足りてない部分を見るとね。笑
非日常と日常を行ったり来たり
ネリーが意外な形でタイムトラベルをして幼少期のマリオンに出会うことになって一緒に遊んだりお泊まり会してり何なりで、同じ世界に入る経験をすることになる。
その中で、母の母である祖母の存在を目の前にすることになり、ネリーは母にとっての祖母がどういう存在だったのかということを肌で実感することになる。
確かに、昨今の核家族化によって祖父母と触れ合う機会はあっても親と祖父母との関係みたいなものはその時代を共に生きたわけではないから知り得ない部分は大いにある。
祖母の存在を知るというよりは、祖母と母との関係性のプロセスの一部を知ることができたのはネリー(娘)とマリオン(母)との関係を客観的に見つめることにも繋がることから、ネリーにとって気付かされる部分があったんだろうと思う。
このようなファンタジー、言い換えれば仮想現実を通して現実を見るムーヴは、これからの世界を予見しているようにも見えてくる。
ネリーがタイムトラベルに行ったきりではなく、現実に戻ったり、またそっちに行ったりする点も意外と重要なんじゃないかなって個人的には思ったりした。
最後に
喪失を与えるのは人間、また癒しを与えるのも人間。
内省的に思考を巡らせる人も多い中、人との関わりをもって進んでいくしかないのかと思うと交流を図り続けるのは大事なんだなと思う反面、でもやっぱり内省を経ての関わり合いを持っていくことの重要性もあるなと、感じる作品だったかな。何か一つの正解があるわけではないし、二項図式で語れるような簡単な話でもない。難しいですなぁ。
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