ポップコーンは買わない。vol.114
ザ・ライダー
クロエ・ジャオの手法
ドキュメンタリーでもない、フィクションでもない、ノンフィクションに本人が本人の役で出てくるという大胆な手法。
こういう演出をするのはクロエ・ジャオ監督以外では見たことがない。
ノマドランドで監督の存在を知り、その内容に驚いた。
ノマド、つまり家を持たずに車で生活しながら、季節労働で暮らしいく人々の生活をアメリカの風景と共に綴っていくロードムービー。
そこに登場する人物は実際のノマドたち。だからか、一部ドキュメンタリーチックな映像に仕上がっている感じがある。
もしかして実際にいる人たちとの交流をわざと見せているのかと思いきや、ちゃんと演技していたりするから、その境界が曖昧になってくる。
その感覚があった。
ザ・ライダーでも同じように本人が本人の役で出てくるパターン。
まず主人公からそうで、僕が全く知らない俳優さんだと思っていた人物は、実際にロデオで大怪我をして、馬の調教をしている本人が演じていたというか再現していたといった方が正しいのか、衝撃を受けた。こっち(調教)が本職の人かい!
流石に、主人公は俳優さんかと思ったらまさかの。笑
男性性の縮図であるロデオという競技
競技としてのロデオって、ロデオマシーンとは比にならないくらい激しいスポーツで、一歩でも間違えて落ちたら大怪我間違いなしみたいな世界で、挑み続ける、というか挑まざるを得ない周りの空気感。
最悪だと思った。
これって男性ならではの空気感なのかもしれないけれど、より危険で高度なことをやってのけることが男として誇れることだったり自慢できることだったりと勘違いしてる気がする。
結局は遊びから始まって競技で、どれだけ危険なことやってのけられるかというマウントの取り合いのことだから、怪我したり人が死ぬまで、終わらないんだ。
んで、仮に怪我をしても身体の恐怖心とは裏腹にまた戻ることを期待され、自分の精神的にも戻りたいという方向性に強制的にシフトさせられているように感じざるを得ない。
そういった中で、本職の調教師としての側面が光だす瞬間を何度も見せてくれた時に、あ、この人の救いは馬にあって、ライダーとしての誇りは全然保てるんじゃんって思った。
むしろロデオに固執している人間が小さく見えて、僕はちょっとホッとした。
最後に
マッチョ的な思想が詰まっているロデオという世界において、それしか知らない人間にとっては生きる術を失うかのような絶望に陥る。でもそんなわけない。むしろそれ以外のことでの方が、よっぽど豊かに生きられる術があるはずである。
クライ・マッチョというクリント・イーストウッドの最新作が公開されて、元ロデオスターの話なんだそうだ。
テーマとしては男らしさってなんだろう。
結局はさっき述べたようなことが思想として込められているのではないかと勝手に想像している。
マッチョに囚われすぎないようにしましょうね。
また、フェミニズムを考えるにあたって、男性性を考えることも重要だと言われていて、フェミニストによるアプローチで、男性とは何かを考えることで虐待や性暴力をなくしていこうという活動も盛んなようである。
自分の中での男らしさ、女らしさってまだまだバリエーションがなさすぎる気がする。らしさの物差しがもっと増えることで生きやすくなる人がいっぱいいるんだろうなってことを考えたし、逆に異性や同性の相手に期待することも自己肯定も含めてどんどんと物差しを見つけていきたいと思った。