ポップコーンは買わない。vol.116
クライマッチョ
1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説を映画化した。かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・マイロだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれていき、家族も離散。いまは競走馬の種付けで細々とひとり、暮らしていた。そんなある日、マイクは元の雇い主からメキシコにいる彼の息子ラフォを誘拐して連れてくるよう依頼される。親の愛を知らない生意気な不良少年のラフォを連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイクだったが、その旅路には予想外の困難や出会いが待ち受けていた。
ロデオというモチーフに当てられた男らしさ
ロデオというのはかつてカウボーイたちが野生化した牛や放牧地の牛を一斉に捕らえて、出荷などの作業を終えた後に行われていた遊びから派生したスポーツである。激しく暴れ回る牛や馬に一定時間乗っていられるかを競うもので、実際の映像を見てみると首が吹き飛びそうなくらい激しい映像がそこにはある。ちょっとヒヤヒヤして見ていられないのは実際である。
そもそも動物福祉的にもちょっといただけない。
そこにはもちろん女性はいない。これは差別的発言でもなんでもなく女性が扱うにはあまりにも危険すぎるからだ。
しかし、男でも危険が伴うのは同じ。
馬や牛からの転落、または動物ごと倒れて下敷きになったり、して大怪我をしてしまうケースがある。
ザ・ライダーという映画について書いたこともあったが、その作品ではロデオで大怪我をした主人公の話である。
イキリとか、マンティングの世界だから落馬したやつは、プライドも傷つくし、痛いし、周りはなんか気使ってまた復活しろよ的なこと軽々しくいうし、リスキーすぎる。
ある意味男性優位主義の縮図がそこにあるのかもしれない。
マッチョから降りたイーストウッド
男性優位主義はマッチョイズムと言ったり、マチズモと称したりするらしい。
クリント・イーストウッドという監督はこれまで半世紀以上にわたって、理想の男性像を自ら演じ、撮り続けた。
最新作の「クライマッチョ」では、91歳の老体を曝け出し、自ら「マッチョから降りる」という発言を残した。
考えてみれば、91歳で強い男性像を語られてもそもそもの説得力ないし、時代錯誤すぎるのでその辺はそりゃそうでしょ、と思う。
にもかかわらず最後は、結局元気なおじいちゃんじゃねぇか!という終わり方がなんとも。。。笑
イーストウッドさん、十分マッチョだと思いますぜ。マッチョイズムって体力的なことだけではないような気がするよ?
ゆうても私はほとんどイーストウッドさんの映画を見たことがないので、何を生意気なことを言っているのかとも思うが。
そもそも彼が演じてきた変遷は長い歴史を持っているので、その時代時代で演じてきた男らしさ、というのは嘘ではない。それがあって今の「クライマッチョ」という作品に辿り着いたのだから、これまでの作品を見た上で最新作をみるとまた印象が変わってくるのかなと思ったりもする。
なのでこの作品だけでとやかくいうのも違うのかなって思ってきた。
他の作品を観て印象が変わるのかどうかは判断したところだが、、相当数あるもんなぁ。。
日本におけるマチズモ
男性優位性という言葉は現代では批判の対象になる。
森喜朗氏の女性蔑視発言は記憶に新しい。
無自覚にしろジョークにしてもあってはならない。
それを自覚できていない人間は表舞台に立つ資格はない。という世論の結果が辞任につながったのだろうが、一方で、いつまで老人たちが表舞台に立っているんだというところにも目を向けなくてはいけない。
マチズモにどっぷり浸かった世代はある程度削ぎ落としていかなくてはいけないのではないだろうか。
権力構造が変わらない限り、マチズモのヒエラルキーはいつまで立っても自発的隷従のもと、維持し続けられる。のではないか。
中央でさえジェンダーギャップは進歩してないのだから、地方はもっと大変だよね。
村八分を恐れて何もしない、最近では感染症のこともあって交流もない(村中がそれを望んでる節がある気もする)、近所と話してもどこか上の空というかちゃんと会話してくれない感じ(後でどこで何を言われるかわからないから当たり障りのない会話で終わらそうとする節がある)。
とまあ、男性優位社会とはかなり外れてしまったが、要するに日本の男女平等はもっと先になるのかなぁという気持ちになったということだ。
主婦の学校の舞台となっている北欧のアイルランド、フィンランドなどから見習うところはたくさんありそうだ。
最後に
私がこの作品をチョイスしたのは、ザ・ライダーと重なる部分があるんじゃないかと思ったのと、マッチョという男性優位主義についてどう語られ、物語の展開と重なっていくのかという興味でチョイスしたのだが、
ちょっと期待はずれだったかなぁという気持ち。
イーストウッド自身の「僕は老人なのでゴリゴリやるのは無理です。許してください」という弱音を正当化しているマッチョなやり口だとしか思えなかった。笑
作品としてはザ・ライダーの方が物語の説得力があった気がするね。