見出し画像

「正義」論と考え方に関する考察、そしてプヲタとしてのこれから

この記事は、昨年10月ごろから書いては消してを繰り返して、出そうか出すまいか悩み続けたものである。
人によっては不快感を覚えることは容易に想像できるし、自分が応援している選手への影響も無視できないからである。

いよいよ世に出す切っ掛けは言うまでもなく。
しかし、「誹謗中傷やめよう」で終わっては書く意味が無いので、少し考察した内容を書いてみる。
個人的に一番書きたい内容は最後の項に書いてあるので、読むのが面倒な方はジャンプしてもらいたい。

主張の大枠

まず前段として、 「事件の真相はこれだ!」的なゴシップが書きたい訳でない。「いちプロレスオタクとして、今後考慮すべき事項は何か」という考えをまとめた記事としたい。
そして、共感してくれる人が居るのであれば、今回の一件に関して少しでも良い環境作りへの協力が出来るのでは、との思いでいる。

この記事の言いたいことは概ね以下のとおり。

①「正義」に基づいた言説は犠牲を生む
②誹謗中傷を行う人物の中には「矯正不可」な人もいる
③出来ることは「これは正しい意見」という考えを踏みとどまる訓練

それぞれの項に関して詳細を述べていく。

①「正義」に基づいた言説は犠牲を生む

そもそも、「正義」とは何だろうか。

色んな言われ方がある正義。というのも、非常に曖昧なものであり、厳密な定義は学者でも不可能であろうからである。私の正義のベースはこの本である。

ざっくり要約すると、「ある側面からの正義を定義した場合、別の側面からは悪と映る」とできるかと思う。かの有名なトロッコ問題は、この本の冒頭から議題に挙げられるほど有名な問題で、いかに「正義」という言葉が脆いかを認識できる。

では、「正義」を考えるポイントを変えてみる。「正義」とされるものの共通項を考えると、自ずと見えてくるものがある。

・「正義は正しい」という何かしら(後述)の裏付け
・「正義と対立する=悪」という「敵の創出」

そして、この2点の考えへの背景は以下と考える。

(比較的)ポジティブな背景
・「自分は正しい」という安心感を得たい
・自分の考えを基準に「味方と敵」を把握したい
・味方と「共通の敵」を作り結束を高めたい

ネガティブな背景
・自分のストレスへの捌け口を見つけたい
・暴力はダメなので、正当性のある方法がいい

さて、ここまで書いてきて一貫して「正義に必要なもの」があると気づく。「敵」である。
では、敵によってもたらされるものは何か。

それは「被害者意識」である。
被害者意識は、正義への正当性を裏付ける重要なポイントとなる。なぜなら「自分はそう感じた」という認識自体は、自分自身が正しさを保証する、揺るぎない証拠であり事実だからだ。

SNSでもテレビでもプロレスの試合でも、誰かの言動に不快を覚えた、空気を読めず場を混乱させる、社会的に害悪な行いなどを、自分自身または自分の所属するコミュニティへの被害として認識する。そして、被害を被った「被害者たる自分or自分たち」には、「加害者たる敵」への正当な防衛の理由が発生する。それが意見だろうと非難だろうと誹謗中傷だろうと、そこには正当性が担保された「正義」がある。

もう一歩踏み込めば、正義が正義たり得るには誰かしらの「敵としてサンドバッグにされる犠牲」が必要なのである。
プロレスのヒールであれば「純然たる悪」として振る舞う登場人物への勧善懲悪に過ぎない。しかし、こと人対人となれば、その結末は「コミュニティからの追放」か「正義側へ考えを改めさせる」となる。敵認定した時点で、その人はコミュニティの正当性を維持するための犠牲として扱うことが決定づけられている。

この項をまとめる。

・「正義」が成立するには「敵=犠牲」が必要
・「正義」の裏付けは自分もしくは自分の仲間への「被害者意識」
・「正義コミュニティ」正当性維持のため、敵を攻撃する

②誹謗中傷を行う人物の中には「矯正不可」な人もいる

この項で最初に書いておくべき点として。

この問題に対する無謬の解決策などなく、かつ何度でも同じ過ちは繰り返される前提である。誤りがあることを前提に、犠牲となる人を少なくする方法を模索する。

以上を踏まえた上で。
さて、前の項であまり触れなかった箇所がある。

ネガティブな背景
・自分のストレスへの捌け口を見つけたい
・暴力はダメなので、正当性のある方法がいい

触れなかったのは、その対処が前者と後者で異なるからである。

ポジティブな背景の面における目的は、「正当性とコミュニティの維持」であった。
ではネガティブな背景ではどうか。私の考え得る範囲であれば、「自分の快楽のため、もしくは特に理由を自覚しない」、すなわち「サンドバッグを殴ることそのもが目的」である。ここに難しさがある。

巷で多くみられる「誹謗中傷はやめましょう」という論は、性善説に基づいた説得である。一方のネガティブな背景を持つ人へは、「自分が行う行為への有効性を見るに過ぎない」、もしくは「全く自分には無関係」としか映らず、有効でないと考えられる。

では、この人に対して有効な処置は存在するだろうか。結論から言うと、「有効ではあるが正しいとも限らない」方法ならある。「正義」の行使である。
対処としては2通り。「ネガティブな背景を持つ人=悪」と捉え、コミュニティからの追放を行うか、自分がそのコミュニティから抜けるかの2択。改善の兆しを望めないのなら、正義を執行するか、放置して犠牲を増やすか、どちらか選ぶ必要がある。

そう、少なからず「コミュニティを維持する」という目的を達成するためには、発生してしまった「問題因子」を排除する「正義」の動きが必要不可欠となる。「正義」は正しいとは限らないと同時に、絶対悪や禁忌とも成りえない。だからこそ、個々人が深く考える必要があるツールなのだと私は考える。

この項をまとめる。

・性善説に基づいた説得では対処できない人もいる
・コミュニティを維持するには「正義」を以って追放が必要
・「正義」は一人一人がよく考え、適切に運用必要がある

③出来ることは「これは正しい意見」という考えを踏みとどまる訓練

この記事を読んでいただいた方は、少なくとも「ネガティブな背景を持つ人」でないと信じている。その上で、どう考えるべきか、私なりの考えを書いてみる。

先述のとおり、絶対的な正義はない。では、自分の考えに正しさを付与する、被害者意識以外のものはあるだろうか。
私が思うに、①科学的根拠に基づいた論、②自分の経験や学習した内容から導き出した論、③周りの人が言っているから、がある。

①は最も有用。それは「再現性」にある。これは、過去の英傑たちが気づき上げた科学の根底である。誰が見ても条件が同じなら同じ結果が得られる=正しい、という人類の英知であり、長い歴史に裏打ちされるものである。

②は、これはこれで確からしく思える。ただし、その経験や学習の環境が偏っているとしたら。特定の誰かに強く影響されているとしたら。
この考えについては、かのビスマルクの「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」を一考した方がいい。そして考えた上で、「何を言うべきか、何を言わざるか」を整理すると良いかと思う。
私自身は、「沈黙は金、雄弁は銀」を実践している。

③は、最近騒ぎになった一件を引っ張り出してみる。

「#検察庁法改正案に抗議します」は、私のTLにも流れてきた。率直に怪しさを覚え、自分の手で調べるようにした。
この内容に関してこの場で述べるつもりはないが、少なくとも「誰かが言っているから鵜呑みにして拡散する」という姿勢は改めるべきと思う。

コミュニティの一員として、「空気を読む」「同調する」は必要な場合もあるだろうが、コミュニティの意見=正しい意見とは捉えず、一歩踏みとどまって「自分なりの考え」を持つべきではないだろうか。
そして「自分なりの考え」がもつ正しさは、何に起因しているのか、十分に考える時間を持つようにする。その正しさが正義感なのか、何か敵を想定した上に立っていないか。日々訓練を行うべきだろう。

自分の発言は、人を救う最後の希望にも、人を殺める最後の絶望にもなりえる。サンドバッグも壊れれば殴れなくなる。もしかしたらサンドバッグではなく、打たれ強いから打たれているだけの猛獣かもしれない。

願わくば、多くの人が、人を救う最後の希望たり得るように。スキを交換し合うコミュニケーションが多くなってくれると良いと思う。

この項をまとめる。

・自分の考えは何を裏付けにしているのか考える
・自分なりの考えを持つようにする
・敵を作った上で論を組み立てていないか考える

あとがきと背景

ここまで長文を読んでいただいた方がいれば、感謝の気持ちしかありません。ありがとうございます。

この記事を作るに至ったのは、2019年初めごろに起こった「オッサン」議論まで遡ります。
プロレス会場に来る、「臭いオッサン」「体格が大きく邪魔になるオッサン」「歓声に問題があるオッサン」など様々な意見が寄せられていました。

この時、悪いのはオッサンだからか、このオッサンが悪いだけなのか、そもそもこのオッサンは悪いのか、数か月考えていました。

前段として、私も会場で迷惑に思う方がいます。一方で、私自身カメラを振り回す観戦をしているので、周囲に迷惑をかけていない保証などどこにもないことを認識しました。
そして、周囲に迷惑をかけていようと、観戦に来る権利自体は失われるものではない。権利が失われるのは、主催者が出入り禁止を言い渡す時だけです。

迷惑をかけることは良くないことです。一方で、誰から見ても不快にならない人間などこの世に存在しません。
もし迷惑=追放なのであれば、「正しいプロレスファン」を誰かが決める必要があります。「正しいプロレスファン」しかなくなった場からは新たな「正しくない」が作り出され、最終的にはコミュニティ自体が維持できなくなります。

なので私自身は、何か不快に思っても「まあ迷惑だろうな」程度にとどめ、イライラはしつつも静観の姿勢を崩さないように心がけています。
自分が正しくないのなら、可能な限り新たな「正しくない」を生み出すことなく、コミュニティを破壊しようとしない限りは「関わらず距離を取る」ことで問題を片づける、そんな考えを実践しています。

さて、ようやくコロナウィルスによる緊急事態宣言が解除されます。これまで通りとはいかないプロレス観戦となるでしょうが、穏やかなプヲタライフを送れることを切に願っております。

いいなと思ったら応援しよう!

たかはしあさぎ
ご覧いただきありがとうございます! サポート頂きましたら、役者さんのコーヒー代、撮影機材への投資、資料購入費として使わせていただきます🙏

この記事が参加している募集