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写真を「一葉」とかぞえる

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

太宰治 「人間失格」 より引用

太宰治『人間失格』の書き出しです。
初めて読んだ時の気味悪さというか、現代の凶悪犯の視点を味わっているような没入感が頭にこびりついています。

引用したかったのは、「写真を三葉」の部分。
写真って現物にしてもデータにしても、「〇枚」でかぞえます。
「〇点」でもいいみたいですね。

葉と枚、なにが違うでしょうか。
今日はそんな短い話。

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「葉」というかぞえ方には、以下のような説明がありました。

「葉」は木の葉のように小さなものだけを数えます。また、「葉」で数えられるものは、手にとって眺めていたいような、本人にとって思い入れのあるもの、ノスタルジックな感情をそそられるものが多いようです。

「数え方の辞典」(飯田朝子著、小学館)

「枚」と比較して、思い入れがあるか否か、1つ1つを区別して特別視しているかで違うようです。

人間失格の写真は、3枚それぞれにまつわるストーリーが語られるアイテム。
思い入れ、もとい記憶のこもった写真をさすには、「葉」の方が適しているでしょう。

話しとしてはここで完結してしまうのですが。
自分や他の方が撮る写真、特に大切にされている写真を「一葉」とかぞえたいなと思っています。
私の場合、ポートレートやプロレスがそれにあたります。

実際、長文を書けるinstagram(https://instagram.com/poisute_words/)では「葉」で統一しています。
『自分にとっての「いい写真」とは「語れる写真」』と以前記事にしましたが、その写真1つでいろいろ考えて、400字程度でも語ることができるなら、それは特別な写真です。

たかが枚か葉かの1文字。
されど日本語を母語とし扱う人間の端くれ。
1文字でもこだわりたいし、そこに意図をもって取り組みたいなと。

ご覧いただいたあなたも、かぞえ方にこだわってはいかがでしょうか。


本稿の着想は『ゆる言語学ラジオ』さんから。


それでは。

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たかはしあさぎ
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