表現の自由研究「印象」
どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。
かつてないほどの酷暑となった7月。
皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
毎月連載の『大人の自由研究』企画、第5回目でございます。
今回、テーマと文献の噛み合いが難航し、直前まで決め切れておりませんでした…
模索した結果、以前から一度読んでみたかった本、そして取り上げたかった記事をベースに、「印象」というテーマで書いてみます。
写真、特にポートレートで、人物の印象をどのように方向づけられるのか、どの程度相手に伝えられるのか、考えてみます。
「かわいいは作れるのか」という探求に挑んでみましょう。
前回記事はこちら。
マガジンはこちら。
1.人は見た目が9割
当初、今回のテーマを「人物」にしようと思っていたのですが、本屋をめぐっていた時にこの本を見つけ、テーマを変えました。
出版から17年経っていますが、出版された当時のインパクトは今でも覚えています。
しかしその頃はラノベ黎明期で、ビジネス書は手を出しておらず、そのまま時間が経過してしまいました。
閑話休題。
本書の主張は、世の中ルックス至上主義!ではありませんでした。
著者が演出家として培った経験をもとに、ノンバーバルコミュニケーションをはじめとした「ことば以外での印象づくり」にかんして書かれています。
演劇の話しから著者の経験や持論、本からの引用から感想まで、幅広く扱っているのでまとめるのは難しいですが。
その中から、役者・ポートレートへ繋げられる項目を参考として取り上げます。
2.役
役作り、もとい演劇論というジャンルだけで数年学ぶ分量ありますし、門外漢ですので、本稿では触れません。
印象作りにおいての要素として「役」を取り上げたいと思います。
役について『人は見た目が9割』で紹介されているものに、色、メイク、服装があります。
色は国や文化によって、それぞれにイメージが付いているといいます。
赤なら攻撃的や勇気。
青なら冷静や失望。
白なら上品や希望、など。
後述するメイクや服装をはじめ、照明や舞台の色によって、見え方をコントロールできます。
メイクは、”自信を生む”とのこと。
目鼻立ちをくっきりさせたり、演じる役のイメージに近づけることで、自分を奮い立たせるそう。
メイクはコンプレックスを隠すにも、強みを生かすにも、無いものを足すにも、協力に効いてくれる武器です。
服装も同様ではありますが、「没個人になる」と書かれています。
スタンフォード監獄実験のように、警官の服と役割、囚人の服と役割を与えられると、その役割に応じた人格を形成していきます。
役者さんでも、私服と衣装とでは稽古での入り込み方が違うと述べています。
これらは、外的な要因によって主観が影響されるという話です。
しかし、見方を変えると「対外的にどう見られているか」という認識が変わったことで、自分以外の役を降ろせていると推測できます。
つまるところ「印象」によって自らを変えているのです。
3.ポートレートと役
この章は、完全なる私の主観です。
役者さんを撮っているとき、一番手っ取り早く相手をノセる小技として、「どう写っているか」の提示があります。
平たく言えば、撮った写真をこまめに見せてます。
私の撮る写真は、ほぼ背景や草花、オブジェなどとセットで撮られます。
その空間、その世界のなかで、役者さんの振る舞いを表現したいからです。
私の頭にはイメージがあっても、撮られる側はどう見えているか分かりませんので、「あなたはこう見えているよ」と提示するのです。
もしくは順番を入れ替え、先に人がいない状態の写真を撮って、「こう写るから、ここでポーズして」と提案します。
何回か繰り返すうちに、私が切り取りたいイメージが共有されていき、役者さんは”ポートレートモデルという役”に入ってくれるのです。
言うなれば、切り取られた世界の登場人物のような。
すると、普段自信があろうとなかろうと、シャッターが切られている間は、自信ありげに振る舞ってくれるのです。
役者ポートレートの醍醐味。
もう一歩踏み込むと。
私がその役者さんの「印象」をベースに、その世界でどういてほしいかというイメージを、ロケーションの中で構築する試みとも言えます。
独善的とも、わがままとも、恣意的とも、言えるでしょうか。
そんなカメラマンの”恣意性”について、検証された記事があります。
4.人の印象は恣意的
Canonが公開した映像資料をご紹介します。
とても興味深いので、ご一読の価値はあります。
ある1人の男性を、6名のフォトグラファーが撮影していきます。
しかし6名それぞれに、異なった事前情報を与えます。
その男性は億万長者だ、元受刑者だ、霊能者だ、など。
フォトグラファーは各々インタビューをしながら、撮影を進めます。
撮った写真を提出し、最後にネタ晴らしとして6人の写真を見せ合います。
するとどうでしょう、全員異なる印象の写真を出してきたことが分かりました。
人物も、メイクも、服装も、場所も、何もかも同じ条件です。
しかし、フォトグラファーの”恣意性"によって、その人物の印象のうち(空想の)特定の部分を強調し、あたかも違う世界線の人物であるように描き出したのです。
印象は自分でも作り出せるし、見る人の先入観によっても作られそうです。
5.第一印象の決定要素
写真は、映像と比較して抽象的な表現になります。
動きも分からないし、声も聴けない、情報の削がれたコンテンツだからです。
SNS全盛の現代においては、ポートレートの評価に”第一印象”を欠くことは出来なくなっています。
上述の記事も、恣意的に第一印象を誘導するような撮影が成されたと考えられます。
ここで、第一印象がどのように決定されるのか見ていきます。
少々古い論文ですが、『第一印象の形成(林、2006)』を引用します。
論文中には、第一印象にもいくつか種類があるとしています。
その中に時間による分類があり、1秒前後、8-12秒、最初の30秒、最初の数分、3-5分などとしています。
その中でも特に「1秒前後」での印象が”残像として残る”としており、その他の印象と共に長期記憶化されていくプロセスを辿るのです。
また、第一印象形成には、以下のモデルを提示しています。
端的に言えば、第一印象の決定には、めちゃくちゃ色んな要素を取り入れてるよ、ということ。
写真の場合、図中の「非言語的行動」と下段の要素(制約・促進条件と表記)が当てはまるでしょうか。
ステレオタイプの影響がかなり大きそうです。
2つのトピックスを束ねると。
・SNS全盛の昨今、印象は1秒前後でだいたい決まってしまう。
・特に第一印象を決定づける重要なファクターに、「非言語的行動」と「制約・促進条件」が含まれる。
とできます。
逆に言うと、コメンテーターや配信者など、その言動が注目されている人でない限り、外見的な要素が普段の言動以上に、印象を左右する上で重要なのです。
6.ルッキズムへの傾倒に繋がるのか
外見の話をするうえで、ルッキズム(外見に基づく差別または偏見)について触れておく必要があります。
「容姿が優れているから素晴らしいのか」です。
上述のステレオタイプに当てはまります。
これは非常にナイーブな内容です。
批判的に言えば「容姿の良し悪し(好み)で、作品の評価をしてはならない」です。
一方、「モデルの努力として容姿を美しくしていることは、評価されるべき点である」もまた正しいです。
正直なところ、人間の動物的な反応や、社会的に醸成された美的価値観をまったく排除することは困難です。
容姿が好みの人物が写っている=いい写真だ、という価値観も尊重されるべきです。
おそらく落としどころとして、「容姿を理由に悪い評価を下されてはならない」になるでしょう。
第一印象の構成に、ステレオタイプが大きく影響しているのように、非言語的行動でも印象を変えることはできます。
前述した色、メイク、服装をはじめ、写真ならではの要素として「ロケーション」「ポージング」による演出がそれにあたります。
容姿に自信がなかったり、かつて容姿で嫌な思いをしていても、フォトグラファーの恣意性と演出次第で、ルッキズムを脱することは可能だと考えています。
容姿が優れていること、容姿を美しくしようと試行錯誤すること自体は、才能や努力として評価しつつ、その人自身が持つ良さを恣意的に表現できれば、印象としては良くなるのではないでしょうか。
7.まとめ:かわいいは作れる
今回のまとめです。
そのうえで私の所感ですが、写真においては良くも悪くもカメラマン次第、です。
「ポートレートはモデルが9割」なんていうオマージュの主張もありましたが、私の考えは以下の通りです。
作品を-100点~+100点で考えたとき、モデルさんが90点分影響すると思っていて、クオリティにそのまま加点されます(100点を超えてもOK)。
この点においては「モデルが9割」には同意します。
しかし作品のクオリティを下支えする「フォトグラファーの責任領域」というものも同時に存在している、という主張です。
「写真はフォトグラファー次第、そのうえでクオリティの9割はモデルさん」とでもいいましょうか。
フォトグラファーが-90点出してしまえば、モデルさんが素敵でも、全体として0点になってしまいます。
よくよく考えれば、人がいなくても写真って成立するのですから、写真単体で100点も目指せるのです。
そこにモデルさんを置くわけですから、”恣意的な印象の提示”を如何に行うかが、クオリティを保証する上で欠かせないのです。
Canonの記事の通り、人の印象は撮り方次第で変わります。
仮にモデルさんが女性であるなら、可愛くも、カッコよくも、美しくも、優しくも、恣意的に撮れるわけです。
モデルさんがメイクや服装で自分を彩ってくれているからこそ、ライティング、表情、ポージングなどの写真の要素で演出し、印象を形作ることがフォトグラファーの使命です。
写真という情報が削がれたコンテンツだからこそ、可愛いは作れます。
私はそんな素敵な体験の提供ができる人になりたいなぁ、と。
8.感想
ここまでご覧いただきありがとうございます。
今回の記事はいろいろ難航の上に仕上げました。
冒頭でも書きましたが、直前までテーマが決まらず、参考文献も集まらず。
現に投稿予定日に書ききれず、翌日に3時間ほど追加しています。
本来的には複数の文献で相見積もりして、情報を取捨選択したうえで書きたかった、という固執ゆえの失敗でした。
特定の文献だけでは、自分の主張を補強するための文献選びになりがちですし。
しかし完璧にこなそうとするのも捨てなきゃな~、と。
さて。
今回の「印象」ですが、写真もといポートレートを語るうえで、避けては通れぬと考えていました。
4000字以上書いてそれなりにできたかと思いますが、今回は非言語領域に絞ってしまいました。
写真に必要な「キャプション」に触れられていません。
例えばですが、私は暗めのポートレートを”闇”と説明することを嫌っています。
仮に心の闇を想起させるような写真でも、その人が抱えている闇そのものは触れてはならないし、安易に闇を抱えているとしたくないからです。
と、いった話も掘り下げられそうなので、いつか。
現在、作品撮りでお世話になっている方々が、それぞれカワイイ系、キレイ系、カッコイイ系と様々振る舞ってくれていまして。
しかしどこか1つの系統しか出来ないことはなく、1枚1枚イメージが違ってきますし、日によっても違います。
そんな中で(自分の撮る写真は、ちゃんと相手が望む印象になっているのか)と心配にはなるのです。
今回の記事を書いてみて、恣意的に表現されてしまうのなら、深く考えても仕方ないかなと思えました。
決して正解はなく、相手をどう捉えていて、どう思っているのかが写真に合わられると。
少なくともお一人お一人に十分な思い入れでもって接していると自負していますし、それで十分なのかもしれません。
とりあえず今は、私の思うステキポイントを、私が表現できるように、モデルさんに提示することに専念しようと。
きっと何かしら嬉しく思ってもらえるのかもと。
また、プロレス写真でも印象づくりをできると思っているので、別途記事を書いてみようと思います。
長くなりましたが、ここらで。
それでは。
参考文献
https://www.agulin.aoyama.ac.jp/mmd/library01/BD81084382/Body/link/ab40084382.pdf
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