オオワシのサチ|童話(#ウミネコ文庫応募)
「おーい!」
呼ばれて目を開けると、顔の上に大きな白い羽がふわりと落ちた。寝てる時に僕の上を飛ばないでって、いつも言ってるのに。羽をつまんで上半身を起こすと、オオワシのサチが本棚の上から僕を見下ろしていた。
「いつまで寝とんねん! もう8時やぞ! ホンマにだらしない奴やなぁ」
こうして猛禽類に起こされる日々を、もう7か月も続けている。
「そりゃ寝るよ。仕事休みなんだから」
僕は再びバタッと横になった。悪いが午前中は寝るつもりだ。
「なぁ、今日がベストやと思うで?」
サチは窓から外を見ながらぼそりと言った。僕は寝ながら顔だけを窓に向ける。
「今日……行くの?」
「今日を逃したら、今年はもうチャンスがないような気がするんや」
僕はむくりと起き上がり、窓を開けてサチと一緒に雲一つない空を見上げた。
今日は9月最後の日曜日。オホーツク地方の朝晩の冷え込みは厳しく、そろそろ冬の足音が聞こえてきそうだ。冬が来る前に帰るなら、確かに今日がベストかもしれない。
「よし! 行くか!」
「実は友達も呼んであるんや。一緒に連れて行ってや」
僕が「友達?」と聞き返した瞬間、玄関の方で奇妙な音がした。
カパカパ……。
ブクブク……。
玄関の前には、ホタテと毛ガニがいた。ホタテは殻を開けたり閉じたりしてカパカパと音を立て、毛ガニは口からブクブクと泡を吹いている。
「わざわざ来なくていいのに。体、乾いちゃうから……」
ホタテと毛ガニを拾い上げると、毛ガニが僕の指を挟んだ。
「いででで……」
「カニは反射的にものを挟む生き物や。うかつに手で持ったらあかんでー!」
背中越しにサチが言う。
カパカパカパ……(ギャハハハ!)
ブクブクブク……(ゴメンゴメン)
「おうおう。めっちゃウケてるで?」
「いちいち訳さなくていいから!」
僕はホタテと毛ガニを発泡スチロールの容器に入れ、海水タンクの蛇口をひねってじゃぶじゃぶと海水をかける。
カパカパ……。
ブクブク……。
「おー、喜んでる喜んでる」
「『こんなぬるいの、海水ちゃうわ!』ってゆーてるで」
「こいつら!」
ホースの先を絞って強めに海水をかける。「やめい! 動物虐待やぞ!」というサチの叫びを無視し、海水で満たされた発泡スチロール容器を車に乗せた。
***
7か月前の2月、流氷を撮影するために知床に行った時、雪の上に何かが転がっていた。車と接触したオジロワシだと思い、僕はオジロワシを車に乗せて動物病院に駆け込んだ。幸い、軽い脳震盪を起こしていただけで大事には至らなかったが、目を覚まして開口一番「誰がオジロワシやボケ! ワシはオオワシじゃ!」と僕に向かって叫んだ。反射的に「ゴメン」と謝ると、獣医さんが「君を気に入ったようだ。一緒に暮らしてみては?」と函館の夜景のような無駄に煌びやかな笑顔で言うので、「こいつ正気か?」と驚いた。
さらに病院を出る時、獣医さんはこれまた札幌の夜景もビックリなくらいの眩しい笑顔で「そのオオワシ、メスだから!」と聞いてもいない情報をくれて、「可愛い名前、付けてあげてね!」とサムズアップするものだから、僕はその親指を逆方向に曲げてやりたい衝動に駆られた。
車の中で、オオワシは「はようワシの名前付けてや!」とせがむので、思い付きで「サチ」と名付けると、意外にも「ええ名前や!」と喜び、大きな羽を広げてバサバサと羽ばたいた。車の中はサチの体から落ちた羽が舞い、視界が遮られて、車は危うくガードレールを突き破ってサロマ湖に落ちるところだった。
帰宅すると、自分がオジロワシと間違われたのがよほど気に入らなかったのか、「さて、お勉強しよか。オオワシとオジロワシの違い、ネットで調べてや」と言い、僕がオオワシとオジロワシの特徴をノートに書き写すのを、鋭い眼光でずっと見ていた。
「なんで大阪弁なの?」と聞くと、以前、網走市役所に勤務している大阪出身の男性と漫才コンビを組んでいて、お祭りなどのイベントで漫才を披露し、なかなか好評を博していたらしい。そのせいか、「オオワシって何を食べるの?」と聞けば、「鶏肉意外ならイケるわ」と笑えないバードジョークを飛ばし、「オオワシが自分のこと『ワシ』って言うの、おもろいやろ?」などと意味不明な同意を求めてくるのが本当にうっとうしかった。
それらが原因なのか、相方に「やっぱり人間と組みたい」と別れを切り出され、結局はそのあとも大阪弁が抜けないらしい。
サチはコンビ解消が相当ショックだったらしく、たまにそのことを思い出し、「種族を超えて友情を育もうとしているワシの気持ちを、なんで分かってくれんのやー!」と家の中を飛び回り、そのたびに家の中が羽だらけになった。そんなタイミングが悪い時に限って郵便屋さんが来て、翌日から「あの家の住人は鳥の羽をむしって、何かおかしな儀式をしている」という噂が流れた。
サチのせいで、すっかりサイコ野郎のイメージが定着してしまったが、冷静に考えてみれば、オオワシと一緒に暮らしているのだから、やっぱり僕はサイコなのかもしれないと思い、「まぁいいか」と受け入れた。
それに、例え人間でなくても、誰かと一緒に暮らすというのは意外と楽しいもので、9月になると、たまにサチの友達のヒグマが新鮮な秋鮭を持って遊びに来るのを、大きな声では言えないが、少しだけ楽しみではあった。ただ、ヒグマはかなりクセが強めの津軽弁で、何を言っているのかさっぱり聞き取れないのが、そこそこのストレスだった。
そんな生活も、今日が最後になる。
***
オホーツク海沿いに、国道を知床に向かってひた走ると、たまに大きな荷物を積んだツーリングライダーとすれ違う。サチはしばらくはダッシュボードの上でおとなしくしていたが、対向車線からツーリングライダーが来ると、後部座席に移動して「窓開けてや!」と言う。そして、ライダーとすれ違う瞬間に「ヘイ! ピース!」と羽を出し、ライダー達もピースで応える。
「ええねええね!」
ライダー達は、オオワシからピースされていることに気付いているのだろうか。ぼんやりとそんなことを考える。
カパカパ……。
ブクブク……。
「君らは無理だから!」
そう一喝すると、ホタテと毛ガニは、まるでふて腐れたように静かになった。
「いつもの音楽かけて! 社宅! 社宅!」
「はいはい、シャカタクの『ナイトバーズ』ね」
サチとは、なぜか音楽の趣味だけは合った。わざとなのか天然なのかは知らないが、僕が大ファンであるイギリス出身のフュージョンバンド「シャカタク」を「社宅」と間違えている。
「人間のことは嫌いやけど、社宅はええな!」
「そう? なら良かった」
仮にも7か月間も一緒に暮らした人間に、よくもさらっとそんなことが言えるものだと感心する。
道の駅に寄り、ホタテと毛ガニを海に帰すため、発泡スチロール容器を持って海岸に向かう。いつも荒れているオホーツク海は、珍しく穏やかだった。
容器を波打ち際に置くと、ホタテと毛ガニは中から這い出し、海に向かってゆっくりと歩いて行く。
カパ……カパカパカパ。
ブクブク……ブクブク。
「ああ、元気でね」
サチは僕の頭の上をぐるぐる回りながら、「漁師に捕まったらあかんでー!」と、場違いなバードジョークを言う。そんなサチを無視して、ホタテと毛ガニに手を振った。
僕が右腕を水平に伸ばすと、サチは綺麗に腕に着地した。そのまましばらく海を見る。
八月に入ると、サチは僕のパソコンで知床の動画ばかりを見るようになった。この時、サチとの別れが近いことを察知し、パソコンに張り付くサチの後ろ姿に、「帰る時は言ってね。送って行くから」と声をかけると、いつもの軽い口調の返事はなく、小さく翼を羽ばたかせ、「9月の終わり頃、良く晴れた日がええな」と、ぽつりと言った。
「どうする?」
「もっと上まで……知床峠まで行こか」
目的地まで約20分。お互いに会話はなかった。シャカタクの軽快な音楽が……ビル・シャープのキーボードが、ジル・セイワードのヴォーカルが、ロジャー・オデルのドラムスが、この時だけは少しだけ物悲しく感じた。
――なぜ、僕の家に来た?
僕はあの獣医さんを少しだけ恨んだ。
野生動物と人間は住む世界が違う。いや、違う世界に住まないといけない。出会った時から、いつか別れる日が来ることは分かっていた。笑えないバードジョークを言われても、家の中を羽だらけにされても、別れが辛くないはずはない。
やがて、斜里町と羅臼町の境目、知床峠に到着した。知床連山の主峰、標高1661メートルの羅臼岳が目の前だ。車から降りると、サチは僕の右肩に乗った。
「お別れや」
僕が「あ……」と呟いた時には、すでにサチは遥か頭上に舞い上がっていた。高く、遠く、秋と冬の間の空へ溶けていくサチを、黙って目で追う。
「泣いてもええんやでー!」
彼方から聞こえるサチの声に、僕は思いっきり息を吸い込み、「うるさいわボケー!」と返事をすると、白い羽がふわりふわりと風に揺られて落ちてきた。その羽は太陽の光を反射し、キラキラと光った。
(了)
※3688字(ルビ含む)
対象:高校生~大人
ウミネコ制作委員会さんの童話作品募集に応募するために書きました。
童話初挑戦ですが…なんか中途半端なショートショートになってしまったようで不安です…。
主宰が「ウミネコ」制作委員会さんなので、「これだ!」と思い、以前書いたこちらの作品を元にしました。
最初は「一陣の風を呼ぶ」をそのまま応募しようと思いましたが、「4000字以内」となっていたので、せっかくだから物語を膨らませてみようと、大幅に加筆しました。
ウミネコ制作委員会さん、よろしくお願い致します。m(__)m
テーマ「創作」と「私の作品紹介」で「CONGRATULATIONS」を頂きました!