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北風と廃墟|掌編小説(#シロクマ文芸部)
「北風という言葉が嫌い」
面白いことを言う人だなと思った。
「北風が嫌い」ではなく、「北風という言葉が嫌い」なんて。
◇◇◇
「年末年始は帰省するの?」
いまいち身が入らない講義を終え、何となく目に入った神谷さんに言う。
「帰らないわけにはいかないでしょ?」
僕のことを一瞥して、彼女はぶっきらぼうに答えた。相変わらず廊下を歩く速度が速い。ほとんど早歩きだ。他の生徒たちをぐんぐんと追い抜く背中に、必死に食らいつく。
「何となく目に入った」というのは嘘だ。講義が終わるとすぐに教室から出る彼女に声をかけるために、僕はわざと出入口に近い席を選んで座っていた。
「北海道か。今はきっと寒いんだろうなぁ」
「寒いなんてもんじゃないわよ」
彼女の背中が答える。僕は「そりゃそうだ」と苦笑いした。
向こうから歩いて来た生徒たちが、彼女とすれ違った途端にひそひそと声を潜めて何かを話す。おそらく、彼女のことだ。
北海道の小樽出身の神谷さんは、その美貌ととっつきの悪さで、学内では良くも悪くも有名人だった。頭の良さもピカイチなので、それに対するやっかみもあるんだろう。
いつだったか、講義中に教授を口で言い負かして、教室内の雰囲気が地に落ちたことがあった。多分、他の講義でも似たようなことをしているんだと思う。
僕は単純に、「何でそんなことをするんだろう」と不思議に思った。大学の講義なんて、出席して何となく話を聞き流して、適当にレポートを書いて提出すれば、とりあえず合格点はもらえる。それ以上の労力を使う必要は全くない。なのに、彼女はわざわざ使わなくていいエネルギーを使って自分の印象を悪くするようなことをしている。そこに、一体何の意味があるのか。そこに興味があった。
上手く言えないが、神谷さんに対する憧れや好意も含まれていると思う。しかし、「普通」や「平凡」をそのまま人の形にしたような僕は、悲しいくらいに相手にされない。さすがに無視はされないが、彼女が僕の目を見て話したことは一度もない。
「北海道かぁ。一度行ってみたいなぁ。なんてったって、都道府県魅力度ランキングのナンバーワンだもんね。茨城なんていつも最下位だよ」
彼女の背中が、慣性の法則を無視したようにピタッと止まった。僕は「おっと!」と声を上げ、急停止する。もう一歩で背中に追突するところだった。
「ちょっと……。どうしたの?」
彼女の横に並び、恐る恐る表情を伺う。切れ長の目は宙を泳いでいた。
「北海道って廃墟が多いのよ」
「え? 廃墟?」
なぜそんな単語が出てくるのか分からず、立ち尽くした。「廃墟」なんてキーワードを引っ張り出すような話題を振った覚えはない。
「北海道はね、引っ越しても前の家はそのままにしておくの。潰して更地にすると、税金が高くなるからよ」
「へぇ、そうなんだ」
「長い時間をかけて、北風が少しずつ家を壊していくの。いっそ一思いに……じゃなくて、少しずつ、本当に少しずつね。そうやって北風に削られて、朽ちていく家を見ていると、なんか、悲しくてね」
――悲しい。
正直、彼女に似合わない言葉だと思った。
「北風は怖いわよ? 寒いとか冷たいなんて、言ってられないくらいに」
「北風から逃げるために、東京に来たの?」
彼女は視線を少し上げて、口を真一文字に結んだ。
「うーん、そうかもしれない」
「北海道より、東京の方がいい?」
「どっちがいいとか、そういうんじゃないのよね」
彼女は顔をこちらに向けた。
初めてかもしれない。彼女の顔を真正面から見たのは。
初めてだ。
彼女の目が、真っ直ぐに僕を捉えたのは。
「遊びに来る? 北海道に」
「え……」
僕は絶句して、見えない何かに突き飛ばされるように、2歩後ずさりした。それを見て、彼女は「はぁ」とため息をつく。
「あのさ、普通は『行くよ!』って言うところじゃない?」
「行きます!」
声が大きかったのか、周りの生徒が一斉に僕を見る。でも、そんなの気にしない。
「できれば……もうちょっとオシャレして来てくれると、ありがたいんだけど」
「もちろんだよ。こんな格好で行かないよ」
彼女はふふっと笑った。
――もっともっと、そうやって笑った方がいいのに。
心の中で呟く。
僕と神谷さんは、並んで歩いた。
いつも背中ばかり見ていたから、ちょっと落ち着かないけど、なんかいいなって思った。
(了)
小牧幸助さんの「シロクマ文芸部」に参加しています。
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