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渚のバルコ|掌編小説

「ちょっとバルコの様子、見に行こうぜ」

 夏休み最後の日の夕方、突然親友の大橋から電話がきた。

 一瞬、「行ってどうすんだよ」と言いそうになったが、多分そう言われることを承知の上で僕を誘っているのだろう。

「分かった。すぐに出るよ」

 スマートフォンだけを持ち、母の背中に「ちょっと海に行ってくる」と告げる。

「もうすぐ夕飯できるんだけどー!」

 母の、少しだけ怒りを含んだ声に、「すぐ帰るからー!」と返事をして、勢いよく玄関のドアを開けた。
 自転車に跨り、10分も走るとオレンジ色に染まった海に出る。そのまま海岸線の国道を走ると、遠くに大橋の姿が見えた。

「バルコ」というのは、僕と大橋が砂浜につくった簡易休憩所のことだ。大橋が看板にペンキで「渚のバルコニー」と書こうとして文字の大きさを見誤り、「渚のバルコ」までしか書けず、「ニー」が極端に小さくなってしまった。僕は知らなかったが、「渚のバルコニー」は昭和の時代にヒットした歌らしい。

 ちなみに、簡易休憩所をつくったと言っても、一からつくったわけじゃない。
 元々は海の家が屋台として使っていた木造の建物で、長年海風にさらされた結果、今にも崩れそうになるくらいにボロボロになってしまった。去年の夏前、ついに近隣住民から市役所に「危険だから撤去してほしい」と苦情が入ったが、現実は放置状態。
 そこで、一体何を思ったのか、大橋は学校、市役所、そして警察に「夏休み中に俺とクラスメイトの岡田が修理して、簡易休憩所にリニューアルします」と一大プレゼンを仕掛けた。驚くことに、それにオーケーが出てしまい、僕がそれを知ったのは、全ての手続きが終わったあとだった。
 大橋が持ってきた書類には、大橋の名前の横に「岡田賢一」としっかり書いてあり、固まる僕に対して大橋は「どうせ暇だろ? 帰宅部なんだから」と白い歯を見せて笑った。

「いや……僕は不器用だから、DIYとかはちょっと……」
「大丈夫だって! もう木材とか道具、ぜーんぶ買ってあるから!」

 もう僕に逃げ道はなかった。

 そんなこんなで、僕は夏休みの大半を簡易休憩所のリニューアル工事に費やすことになり、釘を真っすぐ打てなかったり、変なところに穴をあけてしまったり、採寸を間違えて板を短く切ってしまったりと、自分の不器用さを再確認させられる羽目になった。
 幸か不幸か、その様子は「高校生2人、崩れかけの廃屋を休憩所に」という見出しで大きく新聞に載り、夏休み明けに全校集会で表彰されたもんだから、例え冗談でも「勝手に名前を使われたので、仕方なくやりました」とは言えない状況になった。

「誰か座ってるんだよ、バルコに」
「え? 誰が?」

 大橋が小さく指差した先に、人の姿がある。女性だ。

「休憩所なんだから、別に人がいても不思議じゃないけど」
「声かけてみようか」
「いやいや、やめときなって……」

 僕の言うことを聞かず、大橋は一切の迷いなく女性のところに行き、「こんにちは」と声をかけた。慌てて僕も大橋の隣に並ぶ。

「この休憩所、俺とこいつがつくったんです。椅子の座り心地、どうですか?」

 女性は微笑んだ。

「手作りなんて凄いわね。手先が器用な人って羨ましいわ」
「俺は器用なんですけど、こいつは不器用で、指めっちゃ怪我してました。な?」

 ――余計なことを……。

 女性の黒目がちの瞳と目が合うと、僕はどぎまぎしてしまい、「あ、どうも……」と小さな声で挨拶した。

 ――綺麗な人だな。

 歳は結構上だろうか。なぜか「結婚しているのかな」と余計なことを考え、急いで振り払う。

「ずっと座っていたくなる椅子ね。海もよく見えるし、最高のロケーションだわ」

 女性は大きく伸びをした。肩まで伸びたストレートの髪が、そよ風に揺れている。

 僕と大橋は女性を挟んで座り、穏やかな波の音をBGMにして、他愛のない話をした。今さらながら、この簡易休憩所をつくってよかったと、大橋に心の中で感謝する。

 太陽が水平線に消えていく。

 夕食の準備をしているであろう母のことが気になったが、どうしてもこの楽しい時間を終わらせることができなかった。

「あ、もしかして、誰かと待ち合わせしてたとか?」

 大橋の何気ない質問に、女性は「うーん……」と言って下を向いた。

 ――もしかして、すっぽかされた?

 僕と大橋の目が合う。多分、同じことを考えたんだろう。

「だいぶ前にね、この海で待ち合わせの約束をしたんだけど、その人は来なかったの。で、遠くに行っちゃった。私に黙って……」

 波の音が大きくなる。僕の心もザワザワした。

「あ、ゴメンゴメン。変なこと言っちゃって。まぁ、来るなんて期待してなかったからいいのよ。ちょっと懐かしくなっただけ」

 女性は立ち上がる。反射的に僕らも立ち上がった。

「楽しかったわ。ありがとう」

 風に揺れる髪を押さえ、女性は「じゃあね」と小さく手を振った。

 砂浜を歩く女性の後ろ姿は、やっぱり綺麗で、でも少し寂しそうで、僕らは黙ってその背中を見つめていた。

「遠くに行ったって……つまり、そういうことなのかな」

 僕が呟くと、大橋は「だろうな」と言い放った。

「帰ろうか」
「だな」

 次の瞬間、砂浜を横切り、女性に近づく男性の姿が見えた。

 女性はその男性を見て、両手で顔を覆う。

 ――あ!

 僕と大橋の声が重なった。

「え? え? 来たの? 来たの?」
「そうに決まってるじゃねーか!」

 テンションが急激に上がった僕と大橋に向かって、女性はぴょんぴょん飛び跳ねながら、こちらに向かって大きく両手を振っている。

 僕らは「おーい!」と叫びながら飛び跳ねた。

「おーい!」
「おーい!」

 女性もそれに応える。

 夕焼けの海に、たくさんの「おーい!」が響き渡った。

 ――夏休み最後の日に、渚のバルコが起こした奇跡。

 そうに違いない。

 ドラマのような出来事に興奮が収まらない僕は、「おーい!」と叫びながら、全力で自転車のペダルをこいで家に帰った。

 母の強烈なカミナリを喰らったのは、ご愛敬ってことにしておこう。

(了)


Coccoの「渚のバルコニー」(松田聖子のカバー)を聴いて。


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トガシテツヤ
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