やっぱり「やり方」は最も大切なことではない...
(写真は英国オックスフォード大学:2016年7月撮影)
時代が大きく変わっています。
なにも最近始まったことではないのですが、コロナ禍で一気に時代が変わっていることが実感されるようになったのだと思います。
今までアナログでしていたことをデジタル化するということではなく、デジタルをベースに今までのやり方を根本から変えるDXが始まっています。
かつては製作から広告、販売など決して一人だけではできなかった事が、どこにいても、オンラインできるような時代になっています。
今まであまり盛んでなかった投資や、副業が解禁されたこともあって起業も多くなっていますね。
それに伴って様々な「ノウハウ」「やり方」が無料、有料を問わず数多く出回っています。
確かに「やり方」を間違えると難しいことが多いと思います。「正しい」順序や方法ですることによって、効率よく失敗も少なくできる事は多いと思います。
でも、やっぱり「やり方」が最も大切なのではないはずです。
米国、イギリスをはじめとする海外20カ国以上でリーダーシップやコーチングを教えてきて、やはりそう思います。
コーチングの歴史を振り返りながら、このことについて考えたいと思います。
今日の「コーチ」はどこから?
今日、日本で「コーチ」と聞いて「ビジネス・コーチ」を思い浮かべないまでも、「スポーツ・コーチ」など「コーチ」をイメージできない人はいないでしょう。
北京冬季オリンピックでも様々な競技がありました。チームスポーツ、個人競技、団体、男女混合チームなど様々なアスリート達が競い合いました。
そのひとつひとつの競技にアスリートに加えて「コーチ」が競技を見守り、時にはアドバイスをし、最高のパフォーマンスが引き出されるように支援します。
スポーツでは使われていた「コーチ」ということばが、どのようにして「ビジネスコーチ」「ライフコーチ」に発展したかについては諸説あるようですが、どちらも戦後の話しです。
テニスのコーチだったTimothy Galloway(ティモシー・ギャロウェイ)が1971年に出版した「The Inner Game(インナーゲーム)」から、現代のビジネスコーチングの基礎がつくられたとする説があります。
また、それよりも前にビジネス・エグゼクティブを養成するために「コーチング」が必要であることを1950年に出版した本の中に書いたMyles L. Mays(マイルズ・メイズ)とする人もいるようです。
次の書籍はインターネット上では誰も紹介しているのを見かけませんので、少々細かい話しですが、ここに紹介しておきます。
南カリフォルニア大学(USC)のDouglas C. Basilというビジネススクールの教授(当時)が1961年にまとめた、中小企業と大企業の経営者養成の比較研究「Executive Development: A Small and Large of Enterprise」があります。
経営層を育てるためにコーチングが有益である事を説明し、大企業だけではなく中小企業においても「コーチング」は有効であるとしています。
そもそもスポーツの「コーチ」はどこから?
それでは、スポーツの「コーチ」は、どうして「コーチ」と呼ばれるようになってのでしょう。
こちらもご存じかも知れません。
オクスフォード大学で、学生達の試験準備をする「チューター」たちのあだ名として「コーチ」が1866年に初めて人の役割名として用いられたようです。
それよりも前に17世紀初頭から、「コーチ(COACH)」は動詞として用いられていたようです。その意味は、「ある地点からある地点に運ぶ」ことを意味していたようです。
人や物をある場所から目的地まで運ぶ意味の動詞としての「コーチ」の由来は、名詞の馬車「コーチ」です。
バッグのブランドでもある「COACH」のロゴになっている馬車です。
馬車の「コーチ」はどこから?
それでは、馬車のコーチがどこから来ているのでしょう?
これはかつての農業大国ハンガリー。
首都ブタペストから西に車で一時間半近く行ったところに「コチ(Kocs)」という小さな町が今でもあります。
冬は雪と氷に閉じ込められるこの町で、農業以外の産業を起こそうと15世紀に初めて鉄鋼バネをサスペンションにした馬車がつくられました。
非常にできの良いこの馬車は「コチの馬車」として広まり、「コーチ」と呼ばれるようになったわけです。
「やり方」が最も大切ではない?
それが、馬車(コーチ)であっても、教育係のコーチであったとしても、スポーツのコーチであったとしても、ビジネスコーチやライフコーチでも「ある場所からある場所への移動」という要素があるからこそ「コーチ」と呼ばれているわけです。
それぞれ「コーチ」が様々な支援的役割をするのですが、その支援の「やり方」が重要なのではないことが、「コーチ」という言葉の500年以上の歴史を見ると明きらかなのではないでしょうか。
「コーチ」と呼ばれる人も様々でしょう。
「コーチ」の「やり方」も様々でしょう。
「コーチ」される人も様々でしょう。
「コーチ」される人の「やり方」も様々でしょう。
その時代や文化や個人によって「現在地から目的地」に行く「やり方」は様々です。
それを助ける人の「やり方」もそれによって変わってくるでしょう。
最も大切なものは、「目的地」に行くという、その人の「決断」ではないでしょうか。
その決断が中途半端なままでは、どのような「やり方」を使ったとしても「目的地」にいつまでたってもたどり着かないということになってしまうように思います。
今の状態(現地点)から移動(変化)する決断さえもはっきりしていないまま「やり方」の話ばかりしていると、手段が目的化することになります。
随分と遠回りして長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。