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大木毅著「独ソ戦」

この2年ばかり、苦手な政治・経済・歴史・地理について、入門書を読んでせめて一般常識くらいは身に着けようとしている。本当は高校や大学のころにちゃんと問題意識をもって勉強していればよかったのだが、後悔先に立たずとはこのことだ。今と比較して8倍から16倍くらいの時間があったはずなのだ(*1)。

2年くらい前から、第二次大戦を扱った大木毅著「独ソ戦」という本がよい、という話をちょくちょく聞いていたのでいつか読もうと思っていたし、ロシアのウクライナへの軍事侵攻もあり長引く中、2022年の下期の最初に読むにはふさわしいと、先々週に購入し、一週間ほどで読了した。

著者の大木毅氏は作家で、ドイツの近・現代史を中心に第二次大戦、ナチス、軍事史が専門ということだ。他に「「砂漠の狐」ロンメル」(角川新書)、「ドイツ軍事史」(作品社)、訳書も含め多数の著作がある。

恥ずかしい話ではあるが、そもそも、「独ソ戦」についてほとんど知らなかった。第二次大戦についてもそもそもあまりよく知っていないのだが、知識のほとんどは、米国・英国あるいはフランスからの視点であるし、日本人の視点としては太平洋戦争のほうにより重きがおかれることとなる。だから、ドイツがソ連とこれほどまで凄惨な戦いをしていたことはわかっていなかった。

本書の冒頭、「はじめに 現代の野蛮」と題する前書きに記されている数字を読むとまず驚かされる。まず日本の数字である。

1939年の時点で、日本の総人口は約7138万人
戦闘員は、210万人ないし230万人が死亡
非戦闘員は、55万人ないし80万人が死亡

これでも十分に悲惨な数字だし、どれほどの辛苦をなめたかは私たちもよく伝え聞いている。しかし、ソ連の出した被害はけた違いだ。次のようになる。

1939年の時点で、ソ連の人口は1億8879万3000人
戦闘員866万8000人ないし1140万人が死亡
軍事行動やジェノサイドによって450万人ないし1000万人の民間人が死亡
疫病や飢餓によって800万人から900万人の民間人が死亡

ドイツは独ソ戦だけでなく他の戦線の数字も含む、ということだが次のような数字らしい。

1939年の時点で、ドイツの総人口は約6930万人
戦闘員は、444万人ないし531万8000人が死亡
民間人は、150万人ないし300万人が死亡

この本には、その凄惨な戦争の経緯が、1941年のスターリンとヒトラーの戦前の意思決定とその背景の国内・国際情勢からはじまり、1945年5月2日のベルリン陥落までを、双方の視点から、戦史・軍事史面、国内政治、外交、経済、イデオロギー、といった複数の面から丁寧にたどる。

当方植民地帝国の建設をめざして開始された「世界観」戦争は、ヒトラーが一千年続くと呼号した国家の崩壊、さらには多民族による占領と民族の分裂というかたちでピリオドを打たれたのである。

大木毅「独ソ戦」 Loc 2517

そして、全体のまとめの終章 「「絶滅戦争」の長い影」で終わる。終章では、ドイツが遂行しようとした対ソ戦について、通常戦争、収奪戦争、世界観戦争(絶滅戦争)の複合戦争として改めてとらえ直し、なぜこれほどまでの殺戮と惨禍をもたらしたのかメカニズムの一端を整理している。

ここでいう「通常戦争」とは、国家がある目的を達成するためにとる戦略に基づいたものであるはずの戦争であり、講和という終結も含めて遂行されるものと理解した。そこには目的と戦略に照らし合わせた一定の合理性が求められる。戦争は戦闘員と兵器のみによって行われ、捕虜の扱いなどは国際法にのっとった範囲で遂行される。戦争は外交手段の一つと考えられる範囲の戦争といえるかもしれない。

それに対して、ここでいう「収奪戦争」とは征服地から農作物や鉱工業製品や労働力を徹底的に収奪することを目的とする戦争、「世界観戦争(絶滅戦争)」とは、自らの理想に基づく世界を実現するために妥協を許さないず、その世界に合わない要素を徹底的に排除し絶滅させることもいとわない戦争、というようにそれぞれおおまかに指しているようだ。

実はこのように書いてみて、少し違和感は感じている。「通常戦争」の是非はともかく、他の二つと「通常戦争」を明確に定義をわけることは難しそうに思われたからだ。合理性を、目的と戦略にかなっていること、とするならば絶滅戦争にしても合理性があるということになる。戦争がどのような形態になるか、どのような過程を経るかは、目的と戦略によって変わる。このようにわけて構造を捉えることにどれだけの意義と一般性があるのだろうか。「通常戦争」ということがそもそも定義できないか、あるいは定義してもそもそも存在しないものなのではないだろうか。そのように思われた。


「作戦術」という単語は、耳新しい単語であった。作戦を遂行する術のことではない。戦略を実行するために複数の作戦がそれぞれどうあるべきかを決める術だと理解した。これを持っているかどうか、という点も勝敗をわけた重要なポイントのように書かれている。おおまかに理解したところでは、ソ連は以前から研究された作戦術を持ち、戦略を遂行するにあたって大局観に基づいて個々の作戦をたてる考え方があったが、ドイツは、ときどきの状況に応じて局地的な作戦がたてられる、そこに大きな差があった、ということのようである。

しかし、本当にそこに差があったのだろうか。結局は持っている資源の物量の差や、状況分析や将来の見立ての誤りのわずかな差だけだったのではないだろうか。そのへんも一読したところでは、モヤモヤした感じを残した。

入門書を読んだだけでもあるし、軍事史に関する基本知識が不足していて著者の論に対する私の理解がまったく追いついていないのだろう。そのうちわかってくるかもしれない。


さて、独ソ戦は、バルト三国からベラルーシ、ウクライナを結ぶほぼ3000km にもおよぶ戦線の東西の攻防となったわけで、ウクライナは両軍によって蹂躙された。独ソ戦の中でどのような目にあったのかは本書に書かれているとおりだ。地政学上、ヨーロッパの付け根にあるのだから紛争が絶えないなどとしたり顔で言うことはできるが、しかし、本書を読んで、人間の感覚を麻痺させるような、その惨禍と圧倒的な数字を目の当たりにするにつけ、呆然と言葉を失うばかりだ。私がその場に放り込まれていたとしたら、苦しみと怒りと悲しみの中で若いうちに死んでいたことだろう。何百万人のという統計の中の一人として。息が詰まる。

なぜ動物は戦争をしないのか。暴力を振るわないのか。なぜ人間は戦争をしてしまうのか。なぜ人間は暴力を振るうのか。理性とはなんだろうか、合理性とはなんだろうか。


私たちはどこから来てどこに行くのだろうか。


■ 注記

(*1) 会社に入ったばかりのころ、ずっと上の大先輩からこう言われた。

「30代は20代の2倍、40代は30代の2倍、50代は40代の2倍、そんな具合に時間のたつのが速く感じられるようになる。今のうちに、しっかり勉強して身に着けるべきことを身に着けろ。」

今、確かにそう実感する。が、勉強もせず、特に何かに打ち込んだわけでもなく、のんべんだらりとしていたからこそ、時間が長く感じられたのではないだろうか、と思わないでもない。

まぁ、理論や理屈付けはともかく、50代の私からみれば、20代は 2 x 2 x 2 = 8倍、10代は 8 x 2 = 16倍、ゆっくり時間が過ぎていた、というだけの計算だ。

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