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聖なる侵入:P.K. Dick, "The Divine Invasion" - VALIS三部作・2
世界があなたの思うような世界でなくても、人が、社会が、あなたの思うように動かなくても、あなたが、あなた自身の思うような自分でなかったとしても、だからといってガッカリしたり怒ったりすることはない。たとえ、あなたが神であっても。
それは、あなたがこの世界に生きている証拠で、誰も世界を思うとおりには動かせないのだ。
今年6冊目の洋書は、P.K. Dick の VALIS 3部作の第二作、「聖なる侵入」だ。ディックの創る矛盾して混乱した世界と、一貫することなく、つじつまが合わずめちゃくちゃなようで、それでいて緻密な計算がされているようでもあり、そんな物語の構成が、たんたんと叙述するだけの乾いた文章で際立つ。決して万人向けではないと思うが、後半に意外な盛り上がりを見せ、楽しんで読んだ。
あらすじをかいつまんで書いてみよう。なに、ネタバレ、ったって、どうせ起承転結な綺麗なストーリーでもなく、キーになる因果関係や、どんでん返しの結末があるわけではない。これから書くあらすじだってさっぱり理解不能だろうし、本書を手に取って読んだとしても、さらにわからなくなるだろうから、大丈夫だ。
邪悪な精神に支配された地球を正すべく、創造者である神は、外宇宙の惑星 "CY30-CY30B"で、リイビィの子宮の中に処女受胎により、自らこの世界に出現する。
重病のリイビィは、治療を受けながら安全に出産できるように地球の医療機関に送られるのだ。そのようにして、彼女の夫となるハーブ・アッシャーと預言者エリアとともに地球への侵入を試みた。
地球のCIC (クリスチャン・イスラミック教会)のトップと、人工知能システムのビッグ・ヌードルは阻止しようとするが、かいくぐって宇宙船は地球に到着する。ところがその直後の交通事故でリイビィは死亡、ハーブ・アッシャーは重症を負い、冷凍されて治療を待つことになる。奇蹟的に助かった胎児のエマニュエルは、事故を逃れたエリアに育てられることになる。
エマニュエルは事故によって自らの記憶を失うが、6年が過ぎ、彼は一人の少女ジーナに出会う。彼女に導かれ、自分の正体とジーナの正体、そして、邪悪な敵を少しづつ知ってゆく。
そんななかハーブ・アッシャーはエマニュエルの意志によって治療を受け、冷凍室から現実の世界に生きて戻るが、エマニュエルとジーナが作り出す世界の中で翻弄され、冷凍されたままに幻想を見ているのか、現実の世界に生きているのかわからなくなっていく。
彼はワシントンでリイビィと家庭を持ちエリアとともに高級オーディオ機器の店を持つが、カリフォルニアの無名の歌手リンダ・フォックスと出会う。彼女は、彼がCY30-CY30Bに住んでいた世界では宇宙のスターだった、そして彼のアイドルだった。・・・いや、今いる世界ではまだ無名で誰も知らない、しかし、これから宇宙のスターになるはずの彼女なのだ。
リンダ・フォックスは何者なのか、現実なのかそれとも幻想なのか。神に試されているのだろうか、それとも悪魔のしかけた罠なのか。
まぁ、とはいえ、結末は書かないでおく。
映画「ブレードランナー」で有名な「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」や私がいちおしの「ユービック」や「テレポートされざる者」にも共通するディックならではのモチーフだ。様々な力の対立軸の中で作られる矛盾に満ちた世界に放り込まれ、自分たちにはコントロールできず、ついに理解さえできない力に翻弄され、自分のよってたつ現実を失い苦悩し、彷徨い、そして最終的に矛盾に満ちた世界はそのままに、日常の中に救済される。
ちょっと気になったのが、リイビィがどうなってしまったのか、という点だ。彼女は救われたのだろうか。リイビィの魂に幸いあれ。
それにしても、The Divine Invasion, 日本語訳本のタイトルは「聖なる侵入」だ。なんと、魅力的なタイトルだろうか。私の手元にはないが、創元推理文庫のカバーの絵もとてもよかった。Amazonから古本で入手できるようだ。
新刊本ではいまでも、早川文庫のものが入手できる。
あなたは自分の気に入ったモノや本や音楽や、そして気の合う仲間、集めてその中で居心地よく過そうとしているかもしれない。しかし、ひとたび、一歩でもそこから出ると、あなたは、あなたの望まない言葉を聞き、あなたの望まない歌を聴く。前に綺麗で美しいタレントだと思った人が、知らないうちに偽物の機械に置き換わり、目の前に現れる。許容できない言説と精神、そして許しがたい暴力の横行する卑しい世界がそこにある。それが現実の世界なのだ。
しかし、あなたは、この世界に生きているのかもしれないし、冷凍ラボで冷凍されていて使える臓器や治療法ができるのを待っているのかもしれない。何百年も何千年も。あるいは、あなたは今、まさに、すでにあの世に生きているのかもしれない。それなのに生命に執着し、死ぬまで生きていく。
どこかがおかしい、と思うときがあるだろう。自分がいるべき場所にいない、と思うときがあるだろう。しかし、どこに行けばいいのだろうか。そんなとき、P.K.ディックの小説を読むといいかもしれない。
ますますわからなくなるだろう。
では、人に生への執着をもたらし、幻想と苦悩をもたらすものは何なのだろうか。それは、この世界に侵入を試みるために遺伝子に組み込まれた生きる情報システム、「理性」であり「ことば」であり、それは、VALIS "Vast Active Living Intelligence System" なのだ。
ところで、作中、リンダ・フォックスという歌手が出てくる。彼女が何ものであるか最後に明かされるが、リンダ・ロンシュタットを意識した名前であろう。そして、物語の中でリンダ・ロンシュタットの "You Are No Good" がちょこっと登場する。リンダ・ロンシュタットの力強い歌声は私も大好きだ。
よく聞いたのはアーロン・ネヴィルを起用しデュエットも聴かせる1989年のアルバム、"Cry Like a Rainstorm Howl Like the Wind" だ。1曲目のバラード "Still Within the Sound of My Voice"や2曲目のタイトル曲、6曲目の切なくしっとりした "Adios" 、力のあるリズムで"So Right, so Wrong" など、彼女の力強い伸びのある歌声を堪能できる曲ばかりだ。アーロン・ネヴィルとのデュエットも楽しく軽快な "I Need You"もいい。
私たちは、どこから来て、どこに行くのだろうか。
■ 関連 note 記事
思えば、note への最初の投稿が 「大学のころ以来30年、今まで読まずにいた VALIS を読み始めた」という記事だった。ひょっとして 、日曜哲学愛好家としての私の note のテーマ、「世界はどうあるのだろうか」「理性とは何だろうか」「私達はどこから来てどこに行くのだろうか」の軸は VALIS なのかもしれない。