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意識とは何だろうか・3:Antonio Damasio "Feeling & Knowing"

私は私の中のことしか知り得ず、外界、すなわち自然や社会や人々すべてについて、私の中の状態の変化を通じて初めて知り得る。今年 1 冊目の洋書(*1) "Feeling & Knowing" を読み終え、そんなことを改めて考えさせられた。

神経科学を軸にして、感覚と環境へのインテリジェントな適応、表象・イメージ、心、そして意識について、生命とホメオスタシスと関連付けながら説いている。

本書は、 1 On Being, 2 About Minds and the New Art of Representation, 3. On Feeling, 4. On Consciousness and Knowing の4章のメインパートと、Before We Begin (前書き)と 5. In All Fairness: An Epilogue (本書のまとめ)と合わせて6章で構成されている。1章から4章のそれぞれの章のなかで、それぞれ数ページづつの節にわかれていて、トピックごとに理解しやすく、最後まで筋を見失うことなく読めると思う。

本書は神経科学の第一線の研究者が、専門的なディテールを排除して、「心や意識がどうして人間に生まれるのか」という問いに対して一般の人にわかるように平易な言葉で綴っている。そのため、そのような問いに対して、脳細胞や神経細胞や感覚器官あるいは化学物質などの細かい働きとの関連を詳しく知りたい-わかってないなら最新の科学についてヒントでも詳しく知りたい、という人には不満かもしれない。思弁的な印象を受けることであろう。

さて、本書を読んであらためて強く感じたことが一つある。それは、私達が認識している世界は全て身体の内部の世界であり身体の状態の総体であるということだ。

私達は「意識がどのように生まれるのか」と考えるときに、脳神経細胞そのものや脳の各部位の働き、あるいは、脳内のイオンや分子、あるいはホルモンや栄養素といった物質の反応や作用など、脳の物質の側面を考えていることが多くないだろうか。(*2)

あるいは、外界は目や耳を代表とする五感によって私達に写されていて、私達が誤認識したり錯覚したり、あるいは人によって認識がまったく異なるのは、脳そのものや脳に宿る意識の能力の差や違いだ、と思い込んでいることがないだろうか。(*3)

それこそ「頭でっかち」の視点であろう。

しかし、本書を読むと、神経細胞にしろ感覚器官にしろ、身体の内側にあることを改めて認識させられる。

感覚とはなんだろうか。外界から受ける物理的圧力や熱や光などの刺激、あるいは外界との物質の交換などによって細胞が定常状態からずれてもとに戻そうとする、そのようなホメオスタシスと呼ばれるような動きが感覚なのだろう。つまり、身体の各部の定常状態からのズレが感官器官が感じる現象なのだ。

そしてそれは外界だけではなく、身体内部にある内臓や筋肉の状態など、そのようなものが一緒になって脳に伝わるわけだ。そして、そのような伝達される情報がお互いに干渉しあい変調しあうこともある。

本書では、それらの総体がイメージとして形成されて心と感情が生まれ、さらにより世界に適応するように進歩した姿として意識が生まれているのではないか、と説いていると理解した。つまり、身体全体の状態認識の上に意識が生まれていて両者は切り離すことはできないと考えるわけだ。

もっとも、私が思うに、「意識を生じる機械・仕組みとして脳があり、それら身体全体の状態認識の情報処理を行っているのだ、したがって、身体全体の状態認識の来歴によって影響を受けて意識が変化していくことはあるにしても、意識の成り立ちそのものは脳以外の身体と独立に考えてよい。」と考えても不都合はない。結局、「意識とはなんだろうか」「どのようにして意識が生まれるのか」といった問に対しては、考えれば考えるほど五里霧中だ。・・・もしかしたら本書の読み込みが甘いのかもしれない。

しかし、このように考えていると、心霊や超自然的な現象を信じないかぎり、私達は私達自身の内部しか知り得ないのだ、ということは間違いないところだろう。私達は1人1人、自分自身しか知り得ず、わけもわからずこの世に1人で生まれて来て1人で死んでいく。しかし、感情と意識があり共感と言葉と理性があることにより、人と人は空間と時間を超えてつながっていくのだ。不思議なことではないだろうか。

私達はどこから来てどこへ行くのだろうか。


■注記

(*1)
英語の勉強もかねて、硬軟とりまぜて毎年12冊程度の洋書を読もうとしている。去年は10冊、おととしはたしか11冊だったと思う。20冊近く読んだ年もあったと思うが、たまたま出会った本の内容やページ数にもよるので、あまり冊数にこだわっているわけではない。ただ、1月で1冊程度というのはわかりやすいし、日々うまく読書時間をとるように注意すればなんとかいける線でもある。今年も目標は12冊としている。

この "Feeling & Knowing"は、わかりやく平易な内容だし、紙の本の長さで184ページということだし、前書きとまとめの章と合わせて47節にわかれる細かい構成で、各節の区切りで改ページが入って余白がそれなりにあるので、とても楽に18日で読了できた。幸先のよいスタートである。

(*2)
巷では、行動観察や認知科学の成果を、こういったいかにも分析科学的な知見を組み合わせて「脳科学」などと称して人々を騙して儲けようという輩も多いので注意が必要である。

(*3)
見方を変えれば世界が違って見える、視点によって答えが違う、色眼鏡をはずして観察し、枠をはずして考えてみよう、ということととは別に、そもそも脳が身体を通して受け取っている情報が人によって異なることを言っている。当たり前のことだが、どんなに脳をトレーニングしても、誰かが知り得ることでありながら、私には知り得ないことがあるのだ。

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