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【読書】W.G.ゼーバルト『土星の環―イギリス行脚』

(この読書メモは、2019年2月に書いたものです)

ドイツ出身の小説家で、将来のノーベル文学賞候補と目されながら自動車事故で急逝し、4つの散文作品しか世に出ていないそうです。邦訳は文学論や講義録も含めて7冊、ゼーバルト・コレクションという形で白水社から出ています。自分にとってはこれが4冊目。

この本はイギリス南部を巡る紀行文の体裁をとっていますが、旅そのものよりも物想いや回想の記述が多く、しかもそれが重層的に展開されます。余談に次ぐ余談を読んでいるうちに一体自分がどこのいるのか、もとの時制がどこにあるのか、だんだんわからなくなったりします。この足元の不確かさで著者独特の静かなペシミズムの世界に読者をからめとっていくのが、たぶんこの人の作風です。

── ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、きりのない、わけの分からない失敗でしかない、と。(It seems to me sometimes that we never got used to being on this earth and life is just one great, ongoing, incomprehensible blunder.)

暗く、切なく、そして、優しい。この人の作品を読むときには、感化されて社会復帰できなくならないように気をつけていないとなりません。

ドイツ文学者・エッセイストの池内紀さんは、著者の紹介文で「ゼーバルトは匂いがする。読み出すと、すぐに気がつく」と書いています。うまい表現するなあ。きっと実家の奥の本棚とかに折り重なっている古い本と同じ匂いです。時間の流れを吸い込んで放つやつ。懐かしいような、切ないような。

ところで、この本に倣って余談をひとつ。

本書『土星の環』の風景に落ちてゆくには、たぶん微かな風の音すら耳に届くような静かな場所で読むのがベストですが、やむを得ず通勤電車の喧騒のなかで読むときには、BGMとしてスェーデンのピアノトリオ、e.s.t.(Esbjörn Svensson Trio)が合う気がしました。今回は誕生日に娘がくれたワイヤレスヘッドホンにずいぶん助けられた。

それから、最初に触れたゼーバルト・コレクションですが、人気のせいかそもそも発行部数が少ないのか、すでに新品では手に入らないものも多く、古書の値段もつり上がっています。この本の定価は2,500円ですが、4年前に自分が新品未読本の掘り出しものを見つけてあわてて買ったときでも5,500円。今や程度の悪いものでもアマゾンで17,000円を超える値がついています。

まったく書籍の世界も時のうつろうのは早く、いま市場に出ているものがずっと本屋にあると思ったら大間違いなんですね。欲しいならそのとき買っとかなきゃダメなのかもしれない。

定価の2倍で買ったなんて、かみさんに言ったら八つ裂きにされます。時価は7倍なんて言ったら、即売っぱらえって言われそうですが、こんなに長い記事をかみさんが最後まで読むことはたぶんないので、ご心配にはおよびません。

(2019/2/14 記、2025/1/18 改稿)


W.G.ゼーバルト『土星の環―イギリス行脚(ゼーバルト・コレクション)』白水社(2007/8/1)
ISBN-10 4560027315
ISBN-13 978-4560027318

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