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【読書】湯川豊『本のなかの旅』
(この読書メモは、2020年6月に書いたものです)
いつだったか、ブルース・チャトウィンの著作で邦訳されているものはもうないのかとネット上を探しまわったことがあります。
記憶が正しければ、その時たまたま見つけたのが、本書『本のなかの旅』の三つめに収録されている「ブルース・チャトウィン ── 歩く人の神様」というタイトルのエッセイでした。
たしか当時はウェブに全文が載っていたと思います。チャトウィンの代表作『パタゴニア』から、
「君の宗教は?」
「ぼくの神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」
── という、自分にとっても、とても印象的だったセリフが引用されていて、うれしくなったのを憶えています。
この本では、湯川豊さんが旅というキーワードで選んだ18人の物書き(作家だけでなく学者や外交官なども)とその著作を取りあげています。
宮本常一
内田百閒
ブルース・チャトウィン
吉田健一
開高健
ル・クレジオ
金子光晴
今西錦司
アーネスト・ヘミングウェイ
柳田國男
田部重治
イザベラ・バード
中島敦
大岡昇平
アーネスト・サトウ
笹森儀助
菅江真澄
R・L・スティーブンソン
著作物も紀行文に限らず、小説でも日記でもとにかく湯川さんが「旅」を感じたかどうかを基準に選んでいるようです。そして、引用を交えながら、著者の旅に対する想いやその背景を読み解いていきます。
自分は本を読むとき、気に入った文章や表現に小さな付箋紙を貼っておいたりするのですが、この本ではそういう引用にたくさん出会うことができました。以下は田部重治さんの「数馬の一夜」から。数馬はたぶん奥多摩の三頭山の近くですね。自分は走ったことないけど、ハセツネ(日本山岳耐久レース)に出るような方にはおなじみの地名なんじゃないでしょうか。
「今日、見てきた自然は何と素朴的なものであったろう。温かき渓谷の春は、静かに喜びの声をあげて、その間に動く人間もただ自然の内に融けている。それは全くそれ自身において一致している。私たちはこれに理想と現実との矛盾を感ずることはできない。私は解放された動物のように手足を自由に延ばしながら秋川の渓谷を遡って来た。私はただ萌え出ずる自由を心の奥から感じつつ来た」── 田部重治「数馬の一夜」(『新編 山と渓谷』所収)
ある意味、旅を絡めた読書指南書なわけですが、おかげでまた読みたいものが増えました。
田部重治『新編 山と渓谷』『わが山旅五十年』
イザベラ・バード『日本奥地紀行』
宮本常一『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』『辺境を歩いた人々』
中島敦「環礁」
大岡昇平『ザルツブルクの小枝』
アーネスト・サトウ『日本旅行日記』
この辺りは、いずれ自分できちんと読んでみたい。絶版もあるのかな。手に入るといいけど。自宅の本棚にすでに未読の本が積み上がっている状況ではありますが……
ところでブルース・チャトウィンの主だった著作は、今ではほぼ訳されていて、自分もすでに読んでしまっています。残すは没後に本国イギリスで出版された生前未発表のエッセイ・短編集、“Anatomy of Restlessness”くらいか。これはこれで邦訳版を心待ちにしているのですが、それとは別になにやら来月(2020年7月)には、チャトウィンに関わるちょっとした出来事があるみたいですね。読者の端くれとしては楽しみです。
(2020/6/20 記、2025/2/22 改稿)
2020年7月のブルース・チャトウィンに関わるちょっとした出来事というのは、伝記『ブルース・チャトウィン』(ニコラス・シェイクスピア著)日本語版の発売のことでした。なぜだか1ヶ月遅れて8月になりましたが。
また、クリック合戦に負け続けて、なかなかエントリーできなかった「日本山岳耐久レース(長谷川恒男CUP、通称ハセツネ)」ですが、2023年にようやく参加がかない、鈍足でお恥ずかしい限りですが22時間以上かけて完走しました。田部重治さんの「数馬の一夜」と違い、ハセツネの一夜は、風雨と寒さとの泥まみれの闘いでした。ですが、御前山で迎えた夜明けはとても清々しく、忘れられない一夜になりました。
(2025/2/23 記)
湯川豊『本のなかの旅』中央公論新社(2016/2/23)
ISBN-10 4122062292
ISBN-13 978-4122062290