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武重謙 ヒグマ猟記3「無雪期にヒグマの足跡を追うがうまくいかない」後編
これまで、この山でヒグマの足跡を見たことがないと思っていた。しかし、見えてなかっただけだった。たぶん、いつもそこにあったのだ。
山を歩きながら慎重にヒグマの痕跡を探した。ときどき足跡らしい踏み跡を見つけては、ジーッと睨み付けて、それが本当の足跡なのか頭を悩ませた。
それが “それっぽく見える” だけなのか、“本当の足跡” なのかは、前後の足跡を見ることで、いくらか判断できる。1つ1つは丸く圧をかけたような「言われてみれば足跡っぽい」という、いかにも確信が湧いてこない痕跡なのだが、それがヒグマらしい歩幅を持って前後に続いていれば、高い確率でヒグマだろうと推定できる。さらに前脚と後ろ脚の輪郭の違いを思い浮かべて、よりたしかな確信を導くこともできる。
そうやって見つけたヒグマらしい跡を見つけると、シャーロック・ホームズよろしく、虫眼鏡で地面を睨み付けるようにして「これは足跡か? いや、こっちかな? いや、これこそ……」と一歩一歩追っていった。
実のところ、その多くの足跡がさほど新しくないことは分かっていたが、ほかに手がかりがない以上、追うしかなかった。追うことから何かを学べると信じるしかなかった。追っていると、ぬかるみなどではっきりとした痕跡に辿り着くこともあり、そういうときはガッツポーズで喜んだ。
ただ、追ってみたところで、すぐに足跡が読み取れなくなり、途方に暮れるのがほとんどだった。数十メートル程度の追跡をしては、手がかりを失い、次の一歩が見当たらず断念する。またフラフラと山を歩き、足跡らしき凹みを見つけ、なんとか追跡しては、また見失い断念する。その繰り返しだった。
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連日のように山に通ってはいたが、とても空虚で熱い経験だった。
足跡らしき痕跡を少し追い、それが読み取れなくなると、周りを見渡し、向かった方向を想像しながらしらみつぶしに次の一歩を探す。毎日毎日、とにかく地面を見続けて過ごした。
それでも何日も繰り返していると、それなりに足跡がよく通るところの見当は付いてきた。何も見つからない日もある一方で、ちょっと新しめの足跡に出会うこともあった。いずれにしても、ヒグマに出会える気はしなかった。というか、出会える気がしないから、気楽に追えていたのだと思う。
こうやって見えないヒグマの残像を追い求める日々が続いた。
「どうだったー?」
帰るといつも妻が訊ねた。
「足跡っぽいのはあるんだけどね。でも、今日は爪の跡がわかるくらいの足跡は見つけられたんだよ。それがさぁ、ほら俺の手のひらよりも大きいんだよ」
「楽しそうだね」
そう——楽しかった。こうやって下ばかりみて山で過ごす時間がとてもおもしろかった。広大な景色だとか、絶景だとか、そんなものに興味は無かった。わずかに踏まれた雑草を眺める方がおもしろい。
もちろん、こうやって歩いている中で、シカに出会うことはある。しかしそのシカに対して引き金を引く気にはなれなかった。すでに冷凍庫に在庫はあるし、クマは12月後半までには冬眠に入る。シカはそれ以降にゆっくり獲ればいい。それより、シカに時間をとられるのが耐えられなかった。
目に見えた成果がないまま時間だけが過ぎて、12月に入り、また雪が降った。
▶︎4へ続く
Profile
武重 謙(たけしげ・けん)
1982年、千葉県出身。自営業。システムエンジニアを8年勤めたあと退職。海外を2年間放浪後に神奈川県箱根町に宿泊施設を開業し、その傍らで狩猟を始める。2019年に北海道稚内市へ移住し、宿泊施設「稚内ゲストハウス モシリパ」をリニューアル開業。単独で大物を狙う忍び猟を好む。小説の執筆も行い、池内祥三文学奨励賞(2012年)を受賞。著書に『山のクジラを獲りたくて――単独忍び猟記』(山と溪谷社)がある
ブログ「山のクジラを獲りたくて」https://yamanokujira.com/
ツイッター @yamakuji_jp
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