エイアンドエフの赤津孝夫さんに聞く、狩猟と焚き火。火を熾すということ
猟では、山登りのように決められた公園の中を歩くわけじゃありません。ときに事故などでビバークすることもあって、それなりの準備が必要ですから、明かりとナイフは必ず持っていくようにしています。
火があると、自然のなかに分け入ったときに、心強くなれます。以前、カナダのバンクーバー島の無人島をカヌーでまわったときに、毎回テントサイトをつくったらすぐに火を熾しましたが、本当に楽しかった。火があると、クマが出てきてもぜったいに大丈夫だなと、力強く感じました。暖かさと光があるだけで、心持ちが違います。
人間が石器を手にして、火を手に入れましたが、火はとても大きな力になったし、まぁ、人類が氷河期を生き延びたのも火のおかげです。アイスマンは、スイスの氷河に閉じ込められた人(およそ5000年前のミイラ)ですが、あの人もちゃんと火おこしの道具を携帯していました。それに、ジョージ・マロリー(1886〜1924年。登山家)も、ポケットナイフとスワンのマッチを持っていました。火熾し道具とナイフは、最終的には役立つ道具として必要です。
そのなかでも、ナイフのほうこそ火熾し道具よりも大事だと私は思います。ナイフがあれば、火熾しの道具をつくれるからです。シェルターをつくったり、サバイバルで使ったりする物はナイフでつくれます。摩擦で起こせる火おこし棒(ハンドドリル)もナイフでつくれます。石器があったから、人間は生きてこられました。
ステンレス鋼で叩いても火花は出ませんが、炭素鋼では出ます。いまはメタルマッチがいろいろ出てきていますが、とても有効です。
ユタ州にバスター・ワレンスキーというカスタムナイフをつくる人がいて日本に呼んだことがありますが、ユタは砂漠のまんなかにある街で一番大きいのがソルトレイクシティです。彼はユタ州のリッチフィールドという町に住んでいましたが、その周囲にマウンテンライオン(ピューマ)が出てくるから猟に来なよといわれたんです。
初めて会って名刺交換したときに、財布から石ころみたいのをポロッと落としたんです。『これなに?』と聞いたら、2㎝ぐらいのメタルマッチでした。これを常に持っているといっていました。マッチは水に濡れて使えなくなっても、メタルマッチなら大丈夫ですからね。
メタルマッチで瞬間的に出る火花を焚き火まで大きくするわけですが、そのなかに技術や過程があると思うけれど、火熾しの際に補助的にあると便利なアイテムにチャークロス(炭化布)というのがあります。これを一緒に持ち歩くといいですね。
チャークロスは、密閉できる缶に穴をひとつあけて、そのなかに布を入れて焼いてつくることができます。素材はコットンが一番いいですね。小さな火花でも燃え移り、燃焼時間が長いので、火を熾すのが楽です。チャークロスに着けた火を枯れ草や麻ヒモなど燃えやすい火口につけたりして、火を徐々に大きくしていきます。昼間なら、太陽光でも着火することができますね。
鳥猟のときは、弁当を食べるときは焚き火でお湯をわかして、必ず味噌汁をつくっていました。当時は、インスタント味噌汁はなくてネギとカツオブシを味噌に練り込んでいたものを持っていきました。
鳥の場合は、沢筋を攻めていくので焚き火をしても大丈夫。でも、イノシシ猟の場合は、タバコでさえいやがります。人間のにおいをさせないことが大事。朝の一番寒いときに火は欲しいけれど、じっとがまん。獲れたときやごはんを食べてひと休みするときには火が欲しいものです。
冬の猟では周囲は寒くても歩いていくと汗をかいてしまいますが、止まると寒くなります。持っているおにぎりも冷たいし、ひと口だけでも暖かいものを口にすると生き返った気になります。そういう意味で、山のなかで、いつでも焚き火ができる技術があると安心しますね。
Profile
あかつ・たかお
1947年、長野県生まれ。幼少時より、道楽好きの父の影響で釣り、狩猟などを通して四季の山野に親しむ。1970年代初頭、日本にフライフィッシングとバックパッキングを紹介した芦澤一洋氏と出会い、エコロジーに根ざしたアウトドア・スポーツの必要性を感じ、1977年、アウトドア用品の輸入販売会社「エイ アンド エフ」を創立。著書に『スポーツナイフ大研究』(講談社)、『アウトドア200の常識』(ソニー・マガジンズ)、『アウトドア・サバイバル・テクニック』(地球丸)がある。
https://www.aandfstore.com/
※当記事は『狩猟生活』VOL.2「赤津孝夫さんに聞く狩猟と焚き火 火を熾すということ」の一部内容を修正して転載しています。