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茶書を読む 『南方録』①

『南方録』とは
多くの茶書の中でも、千利休のことや千利休の「わび茶」について詳しく書いたものはほとんどないと言われている。『南方録』は初めから終わりまで、千利休の茶について自由自在に語っている。茶道具についての考え方から、茶花の見方、茶会の心得、千利休の時代の逸話など。いかにも千利休らしい茶の思想が一貫している。


著者:南坊宗啓(生没年不詳)

南坊宗啓は、南宗寺の塔頭「集雲庵」を預かっていた禅僧である。『南方録』は著者の名前から『南坊録』と呼ばれていた。『南方録』では利休の言葉の中から茶と禅を結びつけ、仏道修行と茶の修行の一致することを説いている。(南方宗啓実在の実証はないとされている)

発見者・編集者:立花実山(1655〜1708)

博多の人、黒田光之の側近として仕えた。宝永四年、隠居出家し「宗有」と改め松月庵に入った。後に鯰田に配流され暗殺された。
立花実山は『南方録』編纂にあたり諸書の伝書類を編集し、利休伝書を体系化した。

『南方録』についての先学による二つの見方と「聞書」

『南方録』を茶の湯の聖典とする態度は、田中仙樵やその影響を受けた研究がとっている。また『南方録』が偽書でとるに足りない書物であるという研究もある。昨今の研究では発見者である立花実山の編纂書とされ、一般的には歴史の史料としては価値が低いとされている。
 「武野紹鷗研究」の第一人者である戸田勝久氏は『南方録』七巻を解体して新しい章節に再構成した上で「秘伝」「追加」の二巻も解体し加えた。『南方録』は全て実山の編集であり、九巻として考えるという説を打ち出した。『南方録』は利休の時代の茶書ではなく、元禄時代のものであるとし『南方録』は文学的であり、思想史的で茶の湯思想の文学的結晶とした作品として捉えている。

「秘伝」とは実山が七巻のうちから特秘すべき九ヶ条を摘録した巻。
「追加」とは実山死後、弟の寧拙が清書。実山が七巻に書き漏らした箇所を集めた。実山が新たに編集したことが明らかな秘伝書である。いわゆる『続南方録』と言われた参考文献的書物。

芸道の伝承は宗旦が「「茶の湯とは耳に傳へて目に傳へ心に傳ふ一筆もなし」(茶話抄)という歌に残した。以心伝心というように師の心から弟子の心へ、直に伝えられてこそ本物とする。それができなければ、次善の方法は師の言動を弟子が見聞きして悟ることである。否定されるのは師が筆墨によって文字化した伝承である。師が文字化しないのであれば、弟子が己の見聞を文字化する必要がある。則ち「聞書」である。『南方録』は「聞書」伝書の典型と言える。


参考文献

千宗室編『茶道古典全集』第四巻、1956、淡交社。
千宗室編『茶道古典全集』第十巻、1956、淡交社。
熊倉功夫『南方録を読む』1983、淡交社。


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