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出産して自分の自己肯定感と向き合った話

ここ最近「自己肯定感」というキーワードをよく聞きます。
結構誤解というかそうじゃないなぁと個人的に感じているのは「ポジティブに生きる」=「自己肯定感を高める」だと思っていて苦しんでいる人とかも見かけますが、そもそもそうじゃないと思います。

自己肯定感とはありのままの自分を自分が認めてあげること

案外それがわかっておらずうんうんうなっている人を見かけることがあります。
自己肯定をするというのはダメな自分も、他の誰でもない自分が認めてあげなくてはいけないよ~ってことです。
そして、私は生きてきてずっとこの自己肯定感を持てずに生きてきました。
ここ1年でやっと、自分で自分のことを認めてあげられて「お前、いいんだよそれで」って自分に言ってあげられるようになりました。

私が自己肯定感を持てずに育った理由の分析

じゃあなんで私は自己肯定感を持てずにここまで生きてきたのかと考えました。
そこで行き当たったのがまず「あぁ、うちの親ってある種の毒親だったんだな」ということです。
私ははたから見たら一人娘で両親からもとても大切に育てられていたのではないかと思います。
けれど、1年くらい前、私が対人関係となれない育児で心身共に疲れ果てていた時に夫が長期出張だったこともあり子どもを連れて実家に帰っていました。
その時は保活もうまくいかず、下手すれば復職できずに退職になるかもしれない…と割と追い込まれてもいました。
そして夫も出張出張の日々で家にもおらず、対人でトラブルがあったため近くに友達もいなく、とても孤独を感じていました。
そのことをなんとなく滞在中に実母に話したんですが、とりあえず実母は「私の言動全て」を「全否定」しかしません。
果ては私が大切に思っている夫の仕事への態度についても「全否定」してきました。
夫は出張続きで、夫自身は子煩悩で出来れば家にいたいのに…と思っているんだよね~って軽く話したら
「そんなもん仕事なのに仕方がないのにグダグダ言う人なんだね。」
と夫のこともそのように言いました。
私が保育園が決まらず困っている、という話をしても、私の自治体の保育園事情なんて知りもしないのに
「どうせあんたのリサーチ不足でしょう。頑張ればいいのに。」
と吐き捨てられました。
私は真夏の暑い時期から保育園もたくさん見学して認可外も視野に入れて役所にも通い、支援センターで保活しているママさんと話してみたり…とやってきました。
そして何より実母は専業主婦で私を幼稚園へ入れていた人です。
知りもしないくせに…という気持ちはどうしても出てきました。
いつもだったら私もそのまま黙ってしまうのですが、この時ばかりは夫のことまで悪く言うのでさすがに頭に来ました。
「どうしてお母さんはいつもそうなの。知ったかぶりで身内を落とすことしかしない。」
母親はそれに怒りこう答えました。
「じゃあ黙ってそんなどうしようもない愚痴にウンウンだけ言っておけばいいってこと?時間の無駄だからやめて頂戴。」

実母を毒親であると思うまでは

振り返れば子供のころからそうでした。
私は私の考えて行ったことに対して褒められたり、認めてもらったことはありませんでした。
テストでよい点数を取る、とか、絵をかいて賞状をもらう、とか、いわゆる第三者からの評価軸が伴うことで結果を残すとものすごく褒めてくれました。
私がそれをしたかったかどうかは別です。
それは大人になっても続いていたかと思います。
私は就職氷河期に就活をしましたが、うまくいかず、取り急ぎ自宅近くのリサイクルショップ店で契約で仕事を始めました。
が、そこで社長に色々提案をしたり、実際自分の考えたことで売り上げを2倍に伸ばしたり…と結果を残していたので、社長から正社員の話や、中国への品物の買い付けの話などももらいました。
いわゆる個人社長のリサイクルショップですが、仕事をしているという上では認められていたと思います。
ですが、そのころの母親はいつも不機嫌でした。
「近所のリサイクルショップでいくら仕事を認められてもよそ様に言うのが恥ずかしい。」
そして、実際に親戚や自分の友人には「うちの娘はダメだから。」とばかり言いました。
その半年後、四月採用で受験していた国立施設の欠員があったので夏からどうですか?と電話が来ました。
私もしたかった仕事で資格職でもあったので、すぐ受けたのですがそこからの実母の手のひらくるりもすごかったです。
聞かれてもいない相手にも「うちの娘は国立施設で働いている。」とペラペラと。
それでも、この時点での私の思考はこうでした。

「母親が喜んで私を認めてくれているから私はよいことをした。」

無意識に母親の顔色をうかがう人生

私は気づいた時から、結婚・出産に至るまですべて母親の顔色を窺って生きていました。
無意識にそうして生きてきました。
母親には褒められたいし、笑っててほしいという気持ちが強くありました。
ただその気持ちで自分の人生をすべて選択してきました。
別に母親の望まないことをしても責められることはありません。
でも静かに「見限られる」のです。
母親には見限られたくなかった、だから、母親が母親の持つ第三者の軸で自慢できることをし続けなければならないと思っていました。
私には夢はありました、なりたい仕事もありました。
けれども、その夢は母親を落胆させるのが容易に想像がつくものでした。
なので自分の中で押し殺して諦めました。
いまだに当時の知り合いがその業界で仕事をしているのを見るとうらやましくて心が張り裂けそうになります。
交際相手も慎重になりました。
大学生の頃、バイト先で契約社員で働いていた男性と個人的にドライブに行くようになったりしていました。
それを見ていた母親が「ろくでもない男と遊ぶな。」と言いました。
契約社員の男性は優しいいい人でしたが、契約社員の時点で母親の軸から落下しているのです。
私は連絡を控えて、果てはバイトを辞めました。
その割に「あんたは彼氏の一人も作らず情けない。私が同じ年の頃にはお付き合いしてる人もなんならアッシーもいたし、選び放題だったのに。」となじられもしました。
将来、実家の医者を継ぐという人に好かれてお付き合いを始めた時はご機嫌でしたが、その人と出掛けた時に、思い通りにならないからとその人に道端で肩を思い切り突き飛ばされけがをして帰ったことがありました。
自分的にナシだと思ったので、別れたんですが、母親からは別れたことを責められました。
事情を話しても「それくらい我慢するのが女でしょ。」と言われました。

私はブスで恥ずかしい娘なんだな

容姿についても昔から「ブス」と言われました。
母親は「自分は美人だったのにあんたは残念」と言われてきました。
子どものころからそうだったのでブスなんだなと思い、ブスなので努力もおめかしも無駄だと思い真っ黒な服ばかり着て過ごしていましたし、写真も見事にふくれっ面でしか写らず、そもそも写真も嫌いでした。
毎日のように刷り込まれ、自分の思ったことをああしたいこうしたいと話すと「そんな恥ずかしいこと考えるな。」と言われ、この積み重ねで私は自己肯定感というものを失いました。
友達に対してもブスで恥ずかしい私と仲良くしてくれる人と思うし、いじめにあったときもブスで恥ずかしいから仕方がないと思いました。
実際にいじめにあっていると母親に話した時も
「どうせあんたが辛気臭いから悪いんだよ。学校休むとか許さないからね。」と言われました。
そして当時の私は本当にそれを信じていました。

人生の転機はあっても治らない

私は23歳で家を出ました。
その頃、熱心にはまっていたバンドがあり、そこで少し世界が広がりました。
色んな人と知り合いにもなり、いわゆるロリータファッションにも興味が出ておしゃれも始め、ライブに行くのが楽しかったです。
その頃、その趣味についても母親からあーだこーだ言われてついには「そんな必死になって頭がおかしくなった、犯罪を犯しているような人間と同じになった。」と言われました。
私がそのバンドを好きになったきっかけが「そのままの自分でいいんだよ。」と言ってくれる歌を歌っていたからでした。
私にとっては初めて反抗してでも大切な世界でした。
当時働いている職場は幸いなことに住居手当も出るような職場だったのもあり、即座に家を出ようと決意しました。
そして、家を出ました。
結局のところこれ以上毒に染められないためには物理的に距離を取るしかないと思ったのもひとつです。
実母の毒から距離を置くことが出来て、そしたらきっといろんなことはよくなると思いました。
思っていました、けれど、生まれてからずっと奪われてきた「自己肯定感」については簡単に備わるものではありませんでした。

自己肯定感の無さ故に常に憂鬱が隣にいる

自己肯定感が低い人は「健全な人間関係」をうまく築くことが出来ないように思います。
どう付き合ってもらっていても常に不安が付きまとい「怒らせてないか。」「嫌われてないか。」
それを確認したくなり、確認行動をしますが、それが結果としてかまってちゃんみたいな言動だったり、相手を傷つけるものだったり、変に自分を下に置いてへりくだりまくったり、とにかく健全ではない。
少しでも自分のことを悪くいってそうな気配を感じたら、過剰に反応したり、自分が自分のことを一切認めていないからこそ、第三者からの「好きだよ。」「佐藤はいい人だよ」などという言葉にすがることでしか自立することが出来ず、グラグラとしていて、それを否定された瞬間に崩れ落ちるの繰り返し。
当時の自分から離れていった人の気持ちも今ならそりゃそうだよね、と思うと同時に、当時から今でも付き合いのある友人には感謝しかないなと思うわけで。
自己肯定感を持たないことは、周りの人にも迷惑を掛けるし、傷つけたり振り回したりする一因になるんだよなと、今は思いますが、当時はそれが出来ませんでした。
と、いうか、去年までそのことにすら気づいていませんでした。
10年以上、そう、10年以上かかりました。
結局、毒親と物理距離は置いても頭の中で常に「この選択は実母をがっかりさせないだろうか」とすぐ浮かんでくるのです。
実母は友達関係も把握したがりでした。
この人間関係は大丈夫だろうか?母親に知られたらどうなるんだろうか…。
でも言っておいたほうがいいのかな、太鼓判押してもらえたら続けられる…と呪いのようにずっとずっと頭に残り続けるのです。
当時、いや、もう今となっては死ぬまで言うつもりのない人間関係がひとつだけあります。
その人間関係のお相手は私のそういう部分すべてをよく理解してくれている人でした。
そして「親孝行は一種のプレイだよ。」と言いました。
何度も何度もそれを言われましたし、今ではその意味が分かります。
結局、親孝行をしなければという気持ちが私には強くありますが、それも「こうすれば喜ぶよね~」と肩の力を抜いて軽くゲームのようにいなければ自分の首を絞め続けるだけだったんです。

本気で自分を変えなければと思った日

出産して、それで変わったわけではありません。
それはnoteに書いてきた人間関係でのトラブルをまたしても起こしてしまって、でも今回はその後の自分の過程を変えたんです。
今までは、縁が切れてはいおしまい、相手も悪い私も悪いハイハイみんな悪い悪いって自分の脳内で片付けていたんですが、そうじゃないと思ったのが冒頭での実家に帰った時の母親とのやり取りでした。
その時に「どうしてお母さんはいつもそんなに自信満々で他人を否定できるの、どういうつもりなの?」と口答えをしました。
「私が私を自信持たせてあげるのは自分に対して当然でしょうが!」
と返ってきたのです。
つまり母親は自己肯定感が高すぎる人だったのです。
その高すぎる自己肯定感が自分が正義まで上り詰めてしまい、身内を悪く言うのです。自分が至高だから。
これも決していい自己肯定感の持ち方とは言えません。
むしろ自己肯定感が低くて周りを傷つけている私も問題ですが、高すぎて周りを傷つけてもいけません。
そう、ちょうどよく、自分のことを自分でかわいがってあげるんだということがきっとめちゃくちゃ大切なんだよ、と思いました。
そして、私は何より目の前にいる自分の子供に自分と同じ気持ちにはさせたくないし、かといって自分の母親みたいにもなってほしくないと思いました。
自分らしくのびのびと、生きていくのが軽やかになってほしいと思いました。
だからこそ、自分のこの底辺の自己肯定感は改めなくてはいけないとも思いました。
自分のことを認められない人が他人を認めるのは難しいです。
他人のことをすごい人とか世界戦の違う人としか見られなくなりますし、自分の認められない部分と同じ部分を持っている人には「だからだめなんだよね」と厳しくもなります。
私が一番子供と向き合っている時間が長いので、自分のことを認めていない状態で子育てをしても、その子供を認めるのは難しいのではないかとおもうのです。
自分を認めて、自分の子育てを認めて、初めて子供のこともまっすぐ見られると思うようになりました。

自分のいいところ、悪いところ認めよう

じゃあ何をしたかというと、これだけです。
私は今まで人から褒められてもすぐに「そんなことない。」と突っぱねていました。
今は他人がそういってくれるということはそれは自分の強みやいい部分のはずなんだと思うようにしています。
「ありがとう。」を返事として返します。
悪いところを指摘されたり、そこが原因で合わなかった人が出たとします。
自分でも悪いなと思うところであれば、それはなくせばいいよね、って思うし、それを理由に合わないとなじられたとしてもそれは相手の問題であって、自分の気にするところではないと思うようにしました。
結果、自分に対して距離を取ってくる知り合いとかが出てきたとしても全然気にならなくなりました。
そもそも友達ゼロ!とかならまだしも、ありのままの自分で過ごしていても自分には友達はいます。
じゃあ単純に揉めた相手って自分とは合わないだけ、自分を悪く言う人も自分の持つ悪い部分が相手の琴線に触れてしまっただけで、それならご縁の無かった人なだけ、そして「ご縁は流転する」と思うようになりました。

その結果最近は生きやすさを実感することに

まず、夫にも子供にもイライラしなくなったんです。
自分で自分の首を絞めていたころはそれだけですでに酸欠だったため、少しの刺激で風船が割れるようにパチンとはじけ飛んでいました。
今は自分で自分の首を絞めないため、普段から自分の中の風通しがよくなって「あぁ、そんなこと。」っていろんなことに思うようになりました。
もちろん「夫めー。」とか「子どもめー。」とか思う瞬間もありますが、嫌な感じでぶつける前に立て直すことが出来て、伝えたいことは落ち着いてにっこり伝えられるようになりました。
「かわいい」とか「いとおしい」が一番に来るようになりました。
実母とはもう関係修復をすることもないと思いますが、それこそ「親孝行プレイ。」でこれからも付き合っていくか~とも思ってますし、心の中にきちんと余白が生まれました。
はじめて「あぁ、まともに自己肯定出来ている人はこの余白があるんだな。」と実感しています。

これからの自分に

アラフォーになってやっとここで人生スタートラインです。
夫はよく私に「やりたいことはやれることなら相談して挑戦して欲しい。」
と言います。
夫選びだけは毒親思考の中から「良い条件を…」と思いながら選んだのによかったと思います。
夫も私も共にお互いのことを成長させあえる人でした。
これからはやっと底辺から抜け出ることが出来た、人並みの自己肯定感を得ることが出来たので、今まで失っていたものを少しずつ、取り戻したいなーと思います。
あこがれていたあの人やうらやましいと思っていた世界に、一歩踏み出そうと思います。
まずは、ママ友でも作りたいな、っていうのが今の気持ちです。

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