日に日に体力がなくなっていくのが目に見える 本人が1番辛いだろう 食べられなくなる というより 食べる気にならないのだそうだ 会話もままならなくなっていき、看護師さんにもうなづいて意志を伝えている 空が 母が 手を引っ張り始めたのかもしれない いや すでに引っ張っていたのかもしれないが、父の強い意志で抗っていたのかもしれないと思う昨今
末期ガン患者に処方する薬 アヘンなんですね…
珍しく 午後7時前に電話をかけてきた 弟のこと、兄のことを順番に聞いてくる そして 昨日だか一昨日に自分の役目は終わったような気がするんだと言う 片足なのか片手なのか全く分からないが、空に引っ張られているのかもしれない まだきっと大丈夫と思ったり 転移で痛むからだのせいでのむ痛み止めと 末期ガンで表れるせん妄を起こしてしまう現状から解き放ってあげたいと思ったり 看取る側も複雑だと感じるけれど 本人はさらに複雑なのだろうと思うのだ きっとやりたかったこと 食べたか
ご贔屓のゴルフ選手が久しぶりに優勝した次の日の朝 電話してみたところ調子が良さそうだった ずーっと見てたよと話し方もしっかりしていたのでこちらもなんとなく気分が上がったのも束の間 2日経って本日の午前 仕事中に電話がなった 打って変わってかすれ声で もう長くないような気がするんだよ と言う そんな事言わないで 今週もゴルフの放送あるし頑張ってよ と言うと 頑張りたいけどそうもいかんかもしれんなぁ と返ってきた 電話が出来るくらいだし いや、ひょっとすると
ふと思うと 病状などについて何もきいていなかったので医師面談をお願いした 前立腺がんステージ4 リンパ節への転移及び肋骨転移3箇所 病状としては半年から1年 高齢者特有の症状(誤嚥性肺炎や免疫力低下等)で早まる可能性の方が高いとのこと 面会に行くと、大抵夢現の状態の昨今 ガン末期のせん妄という症状で あたまは正常なのにからだの不調が幻覚を見させたり、ありはしないことを経験したかのような話をしたりする というような一見認知症のように感じることが起きるのだそう 人
母が亡くなってから一人暮らしをしていた父 1年弱前から尿道カテーテルをいれながらも、毎日駅前まで歩き、自宅の階段の昇降をして仏壇にお供えをしていた この度入院して3日程度でもう歩けなくなったようだ 入院した当日 オムツを使用してくださいと言われた 特に入院して2週間くらいは認知機能も衰えていたので致し方ないと従ったのだけれど 後悔のひとつでもある カテーテルはしていても 排泄は自分で普通にしていた 認知機能がほぼ回復しているであろう現在は屈辱だったかもしれないと思
そうなのか そうではないのか 境目がわからなくなってきた うんうんと聞いて そうだったんだね 心配になったんだね 大丈夫だよ ちゃんと食べて寝て お嬢さん(看護師さん)の言うこと聞いてね と電話を切る やるせない…
以前から ことある事に お前にはおまえの人生があるんだからそっちを大事にしてくれ と言っていた 以前から隔週で1人で暮らす父の顔を見に実家へ行っていたのだが 父はどこか後ろめたさのようなものを感じていたのかもしれない 無理するな 俺よりお前の身体を1番に考えろ とも言うことがあった 私からすれば安全確認というか 母が入院したあとから習慣になっていることだったので苦ではなかったのだけれど この度父が入院して 正常では無い認知の状態を目のあたりにしていると せめて平日1
土日 と続けて面会へ 土曜日は上半身のベッドを起こしてテレビをみたりしてきりっとしていたので正直驚いたが 日曜日はまた半分どこか違うところにいる感じというか それはいつの話なの?とか どうして今それが気になるの? という話が出てくる 何か夢を見たのかもしれないと思ったり 末期がんの痛みを緩和するための痛み止めが効きすぎてしまったのかも とも思う 言い方は悪いが 正気の時は電話をかけてこない確率が高い 今自分がどこにいて、どういう状況であるのかがわかっているときは 人は
記憶障害なのだろうか よくわからないのだけれど 一日ごとに電話の向こうの父が違う 3日前は力がない 一昨日は別人のように覇気がある 覇気はあるのだが話している内容が今ひとつまとまりがないのは気になった 昨日は顔を見に行ったがまた力がない どこかを見つめていて、話しかけてもすぐには反応しない 同室の方と看護師の会話をじっと聞いている印象 痛み止めの薬の影響なのかとも思うけれど 日毎にこんなに違うものかと不思議な感覚である 今日も電話をしてきたが いつこの病院に来たのか
母が数年前に体調を崩して入院してから 父は実家に一人で暮らすようになった 仕事をしている私はあたまのどこかに近くに部屋を借りようかと常に思っていたものの、気丈な父はお前の生活があるのだからと私の気持ちを察してか ことあるごとに言った 月に一度だった私の実家への訪問は隔週へと変わった 毎日母の病院へ面会に行く父 当時まもなく90になろうという高齢者であるが、精神力も体力もすごいと思った 私も実家へ行くたびに一緒に母の顔を見に行っていた さて 本日からは、そんな父のことに
木曜日頃から僅かに喉の痛みを感じ パープルショットでしのぎつつ 土曜日はかねてからレンタカーで出かける予定があったので朝から出発 用を済ませてレンタカーを返却して帰宅 近所の居酒屋でものの20分位でビールをあおり軽いおつまみで店を出た お風呂に入りお布団へ 夜中12時頃 暑くて目が覚める 念の為、毎日使っている婦人体温計で熱を計ってみると38度台 驚愕 風邪を引いても滅多に熱が出ない体質だからだ 病院は嫌いだが、勤めている身分ゆえ12時間おいてからインフルとコロ
地方で生まれ育った方が入社してきました 真面目で仕事もきっちりできる印象ではあるのだけれど 隣の私のデスクの引き出しを、お借りしまーすと言いながら勝手に開けて中のものを使用なさった え?と思ったものの、まだ必要な文房具が揃っていないのだろうと理解して何も言わず 入社してきて3日目 私の袖をつんつんとしてきてとある質問をしてきた ギョッとした 文字通りギョッとしたのです 3日目でそれやる? 友だちでも兄弟でもないのだが? この方、他人との距離感バグってると感
あがっていないらしい 片方の卵巣をとったからか 残された方が頑張らなきゃと思ったのかなぁ なんて思う術後約ひと月半の今日この頃です お腹痛い。
いつも通りに5時過ぎに目が覚める 今日の楽しみはシャワー ぺったりして若干匂うような気がするあたまをさっぱりさせたい ずっと屋内にいるとはいえ3日も洗っていないと相当なものだ 朝食はジャガイモとちくわの煮もの、お味噌汁、おひたしとごはん 食事を終えてしばらくすると担当医がきて、この後退院診察をしましょうとのことだった 3日も入浴していないおまたを診られるのかと思うと気が引けるけれども 先生も慣れっこだろう とりあえずトイレでウォシュレットだけはしておいた 診察結果
丁度4週間経ちました おへそと下腹部三ヶ所のうち 気のせいかおへその下の下腹部の創傷がツッパるような感覚があります 事務仕事なので力仕事はないものの、席から立ち上がる時、おへそとおへその下のあたりが心なしかちょっと痛い気がします さらに お通じはしっかりあるのにおなかが張っている感じもします 受診するほどではないと思うので、暫く様子を見ようと思っています