一筋の芯をただ見つめる。
午後に用事が入ってしまい、陶芸教室を午前にふりかえた。
土曜の午前は、初心者向けの教室で、土練りからはじまり、今日はロクロの芯出しをただひたすらに教わっていらした。
何年か前に教わったとおりの手順を、耳に聴きながら、私は先週の作品の「削り」の作業にとりかかる。
「全然あがらないんだけどっ」
「うわっ」
「っあ、きれちゃった」
土の凸凹と、ロクロの回りに、揺さぶられないように腹に力をこめて、ぐっと芯を出していく作業は、基本中の基本ながら、なかなかに力がいり、一番集中力もいる。
膝に肘をロックして、体幹を使って土の塔を立て、また押し沈め、再び塔を立てる。
その作業を幾度かしていくうちに、土は手に馴染み、しっかりとした芯をもつようになる。
ワタワタとした生徒さんたちの目の前で、
陶芸家の師匠は分厚い手のひらで
ヤンチャでイタズラな子を宥めるように
スーッと芯を立てていく。
若い新任教師の言うことを聞かずふざけていた子が、強面ベテラン教師の前でピシッとなるくらいに、ピシッとしていく土。
毅然とした態度は、やはり大事なのだ。
しっかりとした芯をもつ土は、その後とても手の言うことをきいてくれ、自由に、思い通りの器へと形どっていく。
しっかりと、その最初の芯を出すこと、きちんと向き合い、丁寧に誠実に「私の言うことをきいてください」と毅然とすること。
そういえば私は、
一時期カイロプラクティックの勉強をしていたことがあり、人の躰に触れ、その中心にある「骨格」にアプローチしていた。
肌や脂肪よりも、その奥の「骨格」はもちろん目に見えず、可動域や筋肉の張りなどを感じながら想像していく。ここのズレから、この筋肉の張りが生じている、だとか。
中枢が整っていることほどの、安定はない。ロクロの最初の芯出しは、さながら、骨盤と脊椎を安定させること。安定した骨盤と脊椎は、パフォーマンスをあげる。もとい、最大限にその能力を引き出すことができる。
ロクロ初心者に毛の生えたような私でも、くびれのある一輪挿しくらいひけるのだ。
思うように手の中で形になっていく土は、広げたり、すぼめたり、指先だけで美しくカーブを描いていく。
大胆に、そして、繊細に。
芯を見る。
静かに集中して。
にぎやかだった工房が、
静寂に包まれ、
ロクロの回る音だけが響く。