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このくらいの距離が、月日が、私たちにはちょうどよかったのかもしれない。


久しぶりに履いた濃いグリーンのパンプスを、駐車場から駅へ向かう地下道の階段で、早くも後悔していた。お出かけだからと、張り切ったのに、コツコツと響く足音はもう少し楽しげに響くはずだったのに、時折カクッと踵から抜けるたび、私は歩き方まで下手くそになったのか、と自信をなくす。

ピッと改札を通り抜け、長閑なホームの日向で電車を待つ。家族づれの、小さな男の子が懸命に今か今かと電車を待っていて、お父さんもお母さんもその無邪気を微笑ましく見ている。

「動きやすい服装」の見本のような、これからハイキングへ出かけます風情の夫婦は、娘の同級生の親御さんだったけれど、呼び止めてまで声をかけるつもりはなくて(本日私は母親モードをミュートにしているつもりだから)、そうこうしているうちに電車がホームへ滑り込む。ドアのすぐ左、長椅子の端っこに席をとる。

「おはよー。電車に乗ったよ。」

と、送信すると、在来線から地下鉄へ乗り換えるころに返信がきた。

「おはよ。私も乗ってる。45分につくから、待たせたらごめんね。ってか、電車の中暑いー!」

待ち合わせは、地下鉄の駅、13番出口あたり。
時間は、11時くらい。
相変わらずフワッとした感じ。

それでも、ずいぶんと久しぶりで、連絡もほとんど取っていなかったから、いざ会えるとなったら、とうとうかとやっぱり緊張はしていた。

のに。

「久しぶりっ!」
とニコニコと歩いてきた彼女は、髪型すら変わっておらず、つい先週にでも会ったような、記憶からそのまま出てきたみたいな勢いだった。

「久しぶり~っ!」
と、口では言いながら、まじまじと彼女を見るけれど、何度見てもあまりの変わらなさに、一瞬脳みそが月日を錯覚してクラッとしてきた。

横に並んで歩くそのスピードも、彼女が私を見る首の角度も、話し方も、話す内容も、何をとってもことごとく彼女だった。あのころのまま。

ただ、あの頃、その仕草のいちいちに「かわいいな」と、友達以上の切ない胸の内を抱えながら見つめていた私の(あるいはお互いの)、あのフィルターだけが解けてなくなっていた。
彼女の言葉や視線の先に、自分の姿を探した言葉にならない切なさや、眼差しの甘さに高まる高揚感、あのころ私は、彼女さえいれば何でもできる気がして、見るものすべてに、恋愛期独特の鮮度のフィルターがかかっていて、それは彼女もそうで、二人にはそういう時期が確かにあったのだ。

やっぱり、月日は流れたのだ。

ただただ彼女の話が面白くて、懐かしくて。
飼っている犬は元気かとか、大きくなった子どもたちの様子や、立ち上げて軌道に乗った事業の話やのあれやこれやが、ランチの場に選んだパエリアの美味しそうなスペイン料理の行列に並んでいる時点からもう、とまらなくなっていた。

「でさ、せっかくドッグランに連れてったのに、他の犬に追いかけ回されてビクビクしちゃって、全然楽しめなかったんだよ、あんな大きいのに」

「あんな大きいのにね〜、マメって名前つけたからじゃない?」

「相変わらずだよ」

と笑っていたけれど、それを言うならあなたもだけどね、とは言わずにおいた。確かにあれからの彼女の生活は、それはそれは大変だったのだと想像はついて。でも、彼女のことだからそれを、

「大変だったよー、本当」

と、笑い話にして今話しているのだ。
きっと、このくらいの距離が、月日が、私たちにはちょうどよかったのだろう。

私が行ってみたかった「文喫」へ行き、絵本やエッセイや小説を手に取り、「そういえばさ」とまた話し出す。彼女の好きな絵本のキャラクターのグッズを、中身は帰ってからのお楽しみで、1つずつ(と私はエッセイを1冊)買った。

喫茶コーナーで珈琲を飲みながら、気になった本をペラペラと捲りながら、これからの趣味(二人とも夫からゴルフに誘われている)や興味について話すうち、あっという間に60分が過ぎた。(「文喫」へはまた一人で来よう)

駅の地下街をぶらついて、オアシス21のガチャガチャの森を見てまわって。

帰りの時間が近づいているのを、二人とも気づきはじめて。

「何時だろ?」
「そろそろ?」
「夜ごはん考えたくないな」
「もう今日は作んないよ」

改札をぬけて同じホームの逆方向。私は2番線、彼女は3番線。

「今日はありがとう、またごはんいこうね」
「うん、次はきっと、5月か6月に」

彼女の電車のほうが先に来て、手をふった。

そのほんの一瞬。
抱き寄せてハグでもすればよかった、とよぎったけれど、そんなことをしなくても、きっとまたこんな風に会えるから。
あのころのようにちゃんと、しっかり捕まえておかなくても、二人こうして大切な存在としていられると、わかったから。

反対方向の電車に乗り込んで、それぞれの家へと帰っていく。

「気をつけて帰ってね」

「柊も、気をつけて帰るんだよ」

地下鉄から乗り換えた帰りの電車は、目的の駅どまりの快速で。ウトウトしかけたころ、

「ちょっと!ちょっと!ほっかむり(本命)出た!」

と、家につく前にグッズを開けちゃった彼女が、興奮してメッセージを送ってきた。

三人くらいしか乗っていない車両が駅につき、西の空に夕陽がオレンジに光って、冷たい風の吹くホームに降り、朝よりも上手にコツコツと、コートのポケットに両手を突っ込んで歩く。

彼女からのメッセージ画面を、
右手に握りしめて。





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