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「時間が解決する」まで。

ただの点と、点を、どうしても線でつなげようとするのは、私の悪い癖で。自分の都合で、点と点に意味をもたせ、その間を身勝手な妄想でつなげてしまうのはもうたちなのかもしれず。

久しぶりに夢を見たもので、夢の中でも「久しぶりだな」と思うほどで、内容はあまりよくは覚えていないのだけれど、確かに彼女と、その家族と会ったんだった。元気そうだった。そんな寝起きのボーっとした朝は、けれど、ボーっとしてなどいられなくて、テキパキと予定のある朝で、初霜の降りる中、寒い寒いと言いながら出かけなければならず、ハンドルを握りながら、うすらぼんやりしていく夢のしっぽだけつまんでおいた。

予定をこなしてホッとひと息ついたあと、何気なくみた画面の「更新されたプロフィール」に彼女がいて、それがとぼけたネコのイラストだったりするのを見つけて、つまんでいたしっぽを、やっぱりつまんでおくべきだったんだ、なんて思って。

吉本ばななさんの「夢について」というエッセイの、友達が夢をつかって何かしらのメッセージを送っている、という説を私はえらく信じているので。というか、そっちの方がむしろデジタルなんかよりは確実なんじゃないかとさえ思っているほどの夢想家なので。

四ヶ月前、彼女の誕生日の朝*に「お誕生日おめでとう」を打つのにあんなにも重たかった私の人差し指(そしてとうとうその日動くことはなかった)が、どういうわけだかこの日は、同じ人差し指とは思えないほど軽快に、スタタと文字を打っていて、何の迷いもなくすんなりプンと送信していた。何となく、彼女がコンタクトを取ろうとしているような気がしたのだ。そんなことはもちろん、例の私の勝手な妄想で、なんでもない夢と、とぼけたネコに、何かしら意味をもたせて描いた点つなぎなのだけれど。きっと、この私以外、そことそれを線でつなげたりはしないだろうけれど。

ともあれ、返信は、あっけなくきたわけで。
それはとても紛れのない彼女で、相変わらずすぎて、ことごとく彼女で、簡単にあの口調で脳内再生されてしまうくらい彼女そのもので。自分からメッセージを送っておきながら、ほとんど拍子抜けしてしまってハハッと軽く笑えてしまった。

物事にはタイミングというものがあるんだとか、満を持してとか、時が満ちてとか、機が熟してとかそういった、目には見えないけれど頃合ころあいというものがございますのよと、ロマンスグレーな品の良いご婦人に紅茶カップでも傾けながら諭されたかくらい腑におちた。そういうものなのよ、と丁寧で優雅な所作に妙に説得力のある風情で。

たしか、そうだ。彼女に最後に会ってから、5年が経っている。彼女が「フワフワだね〜」と頭を撫でていたウサギのナッツは、お空でウサギ座になってしまったし、ほんの子猫だった黒猫のレオンは6kgを超え、すでにヒト科のおじさんの風格になっていて。ただのマッシュショートだった私の髪型は、クルクルのパーマのVaundyから、センター分けのツーブロックマッシュになり、金髪になり、アッシュ系ベージュになり、今ではウルフで。aikoが昔歌ってたくらいにはえりあしが伸びてきている。

もう、いい加減。
いい頃合いなのだ。

現に、すんなりと返ってきたメッセージから、すいすいと話は運び、年明けには何年かぶりにごはんの約束までしていたのだから。


書きに書いて、つづってじて、整理したり昇華したり、想いや理屈を言語化してきて。季節の移ろいは写真に記し、時の進みはロクロに任せた。
月日は想いを乾かし、自然な形を作り出し、今となってそれが俗に言う「時間が解決する」ということなのかと、よく知った言い回しが、そのとおりだと解る。身に降りかかることは、実感を伴った言葉となって、ようやくここまで来たのだ。

彼女と会ってもきっと、もう、胸が締めつけられることはないだろうし、目の奥を覗いて不安になることもない。それどころかむしろ、くだらないことで笑って、何が好きで何が嫌いかを平気で言い合える二人がイメージできて、きっとそれは、「好き」の種類が揃ったということなんだろう。どれだけ天秤の針を調整したところで、カタンと鈍い音を立てて一向につり合わずにいたあのころ、こんなふうにすんなりとつり合う日が来るとは思えずにいたのは、やはり、彼女と私の持つ「好き」の種類が違っていたからにすぎない。私には、どこがどう違うのかも見えていなかったんだというところまでわかる。

「年末、乗り切ろうね」

とぼけたネコのイラストと、久しぶりに見た夢をつないだら、彼女と、今度こそちゃんと、大切な友達になれそうなストーリーが動きはじめた。

新しい時計の針の音は、きっと楽しい。



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