いろはにほへと。
朝から雪、ではなくて、雨が降っていた。
鍵を開けて、電気をつけて、ストーブに火を入れて、あたたまるまで図案と睨めっこしていた。
今日は大仕事だ。
土の動物たちや小鳥の素焼きが焼きあがり、下絵付けにきたのだ。
表面を、ナイフやヤスリで削り、湿らせたスポンジで粉を取って、表面を滑らかに、筆描きの下準備をしていく。
薄すぎて、あるいは細すぎて、ポロッと簡単に取れてしまったり欠けてしまったりするから、慎重に。
「いくら小さい物でも手間は一緒。
ひとつひとつに手間ひまかけて、かえって 小さい物の方が手がかかったりして。
買って行く人は、小さい物なら安いと思う やろうけど、作った私らは売る時には、
〝手間は一緒〟って言うんよ。」
私の下絵付けの師匠の村井さんは、ご自身の『お雛様』の絵付けをされながら、そう言っていた。そうだ『手間』を惜しまずだ。
呉須に取り憑かれている私は、素焼きの動物たちに面相筆で筆描きをしていく。
文様を描こうとしていたけれど、ついこの間観た大河ドラマ『光る君へ』の筆づかいを見ていたら、どうにも「かな」が書きたくなってしまった。よなよな筆ペンで、まるで写経のように、いろは唄を練習していた。
「ほぉ。書道の先生もされとったん?」
村井さんは、そんなことを言ってくださり、
「いえいえ、大河ドラマを見ていたら、どう にも書きたくなってしまって…」
と言うと、源氏物語といえば…と嬉しそうにある画像を見せて下さった。
お孫さんがデザインの学校へ行っていて、彼女のデザインした『光源氏』が最優秀賞をとり、北陸の方のお土産物のパッケージデザインに採用されたのだ、といって。
お孫さんへも血筋が活きていらっしゃる。
雨があがって、少し日がさしてきて。
チラホラ村井さんのお仲間も揃って、工房が賑やかになって、そのお喋りを聴きながら、ときおり加わりながら、筆を走らせていく。
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
呉須はよく混ぜていないと、すぐに上澄んできてしまう。筆先を整え、丁寧に。
マレットゴルフの大会で優勝したから、来年度の「役員」を引き受けることになったというのは、村井さんのお姉さん。妹の村井さんが教える形で、仲良く作業をされていて、姉妹らしい遠慮のないやり取りを聞きながら、筆を動かす。
静かになったり、誰かれが話し出したり、ひとりごとだったり。
雨音がしはじめて。
ようやっと筆描きを終えて、透明釉をかけるころには16時をまわっていた。
窯から出る来月の頭を、楽しみにして、
家路につく。
丸一日どっぷり集中力を使い果たした私は、
有為の奥山でも越えたかのように、
ビールを飲むや酔いもせず、
ことりと眠りについたのだった。