月日は流れ。
久しぶりに通る道は狭くて、対向車が来たらすれ違えないから、そろそろと行くのだけれど、結局は対向車など1台もなく、行き止まりまで行くのだ。
お寺さんまでの道のり。
小学校の教員をしていた住職(濱島先生という理科の先生だった)は、何年も前に亡くなり、後に入られた若いおっさん*も数年で亡くなられた。その後はずっと、おくりさん**が切り盛りしていたけれど、そのおくりさんも数年前に亡くなられた。今では、近くのお寺さんのおっさんが来て、檀家のお世話をしてくれている。
私が小学生のころ、毎年の夏休みのラジオ体操は、このお寺さんに来ていた。
朝露の滴る小道を抜けて、ラジオ体操カードを首からぶらさげて、寝ぐせ頭に半そで半ズボンで、ひんやりと涼しいお寺さんまで歩いていった。
砂利の境内で、みんなで並んでラジオ体操をして、カードにハンコを押してもらう。
それから、草履を脱いで本堂へ上がり、正座をして、線香の香りの中、住職の鍾の音にあわせて合掌をし、おでこが床につくまで深く礼をする。
礼拝、三回。
それから、木魚に合わせて般若心経を二回。
低学年のうちは、ひらがなの般若心経の紙を見ながら、正座の足も早々に痺れては、モゾモゾしていたけれど、そのうちに心経も覚え、いつの間にか正座にも慣れていた。
父の七回忌の法要の打合せに、久しぶりにそのお寺さんを訪れた。小さな池の大きな鯉が、隅の方でじっとしていた。
「ご無沙汰しております」
穏やかな住職は、相変わらずな笑顔で迎えてくださる。
父の葬儀から、六年。
子どもたちも大きくなり
「そうですか、あの子がもう中学生…」
この町の近況などをゆったりと話しながら「おくりさんが亡くなられて葬式が増えましたね…、お友達を連れていきすぎですね」
と、月日を辿る。
奥の位牌堂で、父の位牌に手を合わせ。
ラジオ体操に来ていた子どものころ、この奥の、本堂からチラと見えるこのたくさんの位牌の並んだ部屋を、「入ってはいけない」ような、「無闇に覗いたりしてはいけない」ような、そんな気がしていた。厳かな雰囲気が、怖いような、まるで結界でもあるかのように、子どもの私を遠ざけていたのかもしれない。もう、怖くなくなってしまった。
外はよく晴れて、
春らしい暖かな日差しが満ちて。
「ックシュン!」
住職が鼻をムズムズさせて、「今日は花粉がすごいですね」と笑う。「だいぶ慣れた方です」と、このお寺のお世話をするようになった六年前は、夜も鼻がつまって眠れないほどでしたから、と。
月日は流れている。
早朝から駆け回っていた小学生の私たちには、この境内もとても広く見えていたけれど、今見るとそこまで広くは感じない。
あんなに長く感じていた般若心経も、足が痺れてしまうほどではなくなって。
少しずつ、ゆっくりと、気がつけば。
時の経過の大きさはいつも、後から知る。
「では、当日よろしくお願いいたします」
と、塔婆をいただいて、おいとまする。
暖かな日。
隅の方でじっとしていた鯉が、
ゆっくりゆっくりと泳ぎだしていた。
おっさん*
お寺の住職のこと。和尚さん→おしょさん→おっさん のよう。主に関西寄りな呼び方。
いわゆる「オジサン」の意味のオッサンとはイントネーションが違います。
おくりさん**
お寺の僧侶の奥さんの意。寺の、住居部に暮らす奥さん。
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理科の先生だった住職のお話はこちらも。