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酒道。

福山雅治さんのラジオを聴いていました。
「酒道」という、酒を嗜む者の道を語られていました。

「酒道」というのは、人に迷惑をかけず、乱れたりタガが外れたりをせず、酒とともに自らと向き合うこと、だという。
「整え」だと。
(注  私なりの理解です)

一人 静かに盃を傾け

なるほど、「酒道」。
私の「酒道」を振り返ってみる。

若い頃は大勢でわいがやと飲み、タガを外したりしていた。お酒の力を借りて、酔った勢いに任せて、普段の自分とは違う人格や言動を求めていた。

いわゆる優等生タイプだった私は、三姉妹の末っ子で、「叱られること」をしないように、真面目に生きていた。一方で、家族や、気心知れた幼なじみの前では、ひょうきんでお笑い芸人のマネをして、みんなを笑わせたりしていた。森進一のマネを全力でする私に、「黙っていれば、シュッとしてるのに」と笑い転げながら言われるのであった。

20歳をすぎる頃、世間では成人なのだからと、真面目に働いて「大人」として振る舞い、善良な社会人として生きていた。けれども、もともと全力で森進一をする私は、内心そんな自身の「大人」を「つまらない」と思っていたのだ。

そうして、そのジレンマとフラストレーションを発散するかのように、わいがやとお酒を飲み、陽気に「おふくろさんよぉ〜」と酔っ払い、タガを外していた。まんまと飲まれていた。寧ろ自ら飲まれにいっていたと言ってもいい。

いろいろを失敗し、学ぶことになった。

結婚をし、子どもを育てていくうちに、若い頃感じていたような「大人」を「つまらない」と思うようなことがなくなっていた。「大人」として振る舞うことに慣れたのだろうし、よくよく見ると「おもしろい」大人がたくさんいることがわかったからだろう。

そうして、今の私の「酒道」。

20年前に知り合いの陶芸家さんからいただいた、高台の茶褐色のカップで、白ワインをゆっくり。チリ産やイタリア産のスキッとした、けれども優しい、アイロンをかけた木綿の白シャツのような白ワイン。

子どもたちの話を聞きながら。
黒猫の寝顔を見ながら。
夫の仕事の話を聞きながら。
歌番組がついていれば、気分よく歌い。

「整え」の時間。

人の話の中に、私はこう思う、と見つめたり。あらためて、好きだな、と感じるものがわかったり。新しい興味がわいてみたり。

白ワイン二杯をゆっくりと飲みながら。
茶褐色のカップの凸凹が手に馴染んで。

1日を終えながら、真面目にふざけたことを、大人の面白さを、味わっていく。自分勝手な美学を打ち立ててゆくのは愉しい。

タガを外さずとも、森進一のモノマネくらいできる。

私の「酒道」における「整え」とは
自分勝手な美学を創っていく作業なのかもしれない。











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