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桜 来年も一緒にみる可能性のこと

薄手の長袖を腕まくりしてちょうどいいくらいの、薄曇りの日差しが暖かな昼間、歩道を歩く人はいつもより多く、楽しげで。

ベージュや白のブラウスや、日傘や小さなチューリップハットやの、軽やかな装いで、手をつないだりなんかして。

早咲きの河津桜はひらひらと花びらを落とし、背も高い大きなソメイヨシノはゆっくり悠々と五分咲きで、川沿いを照らす。
心做しか水嵩の多い土岐川は、濃いエメラルドグリーンの流れを速めていた。

ようやく晴れた週末。

桜の木は、幹にしっかりと水気を蓄え、あたたかな日差しに、瑞々しい蕾をゆっくりゆっくりとほどいていく。
蜜蜂もヒヨドリも、忙しくその枝枝をゆらし新鮮な蜜を集めて、まるきり夢中で、私たちなどお構いなしに、花から花へと忙しい。


こうして桜を歩いていると、江國香織さんの『いくつもの週末』の中の、「桜ドライヴとお正月」をいつも思い出すのだ。そう、桜の頃には私の頭の中に学習機能的に呼び起こされる聖書バイブルのように。

我が家では、それはたとえば春。一年に一度、夜、会社から帰った夫に、
「桜を見たい」
と言う。普段、お月見しようとか夜のドライヴをしようとか散歩にいこうとか誘っても、今度ね、とあっさり断られてしまうのだけれど、桜だけは特別。次の日が風や雨だったらたちまち散ってしまうからだ。夫は、たいてい、
「いいよ」
と言ってくれる。
近所に桜並木がたくさんある。二子玉川にいく途中とか、大きな教会の近くとか。 夫と私は、車の屋根をあけて、深夜その道を走ることになっている。

桜ドライヴとお正月 より

深夜にゆっくりとドライヴに行く二人だけれど、それをずいぶんと楽しみにしている江國さんがかわいらしい。

来年もこのひとと一緒に桜をみる可能性がある。そのことがとても希望にみちたことに思えて嬉しい。そうして、それは勿論一緒に桜をみない可能性もあるからこその嬉しさだ。物語が幸福なのは、いくつもの可能性のなかからひとつが選ばれていくからで、それは私を素晴らしくぞくぞくさせる。

私はそんな二人の距離感がとても好きで、私も「桜見に行かないと」と夫を誘って、見頃を見逃さないように、この時期はソワソワしている。普段は、まったくそれぞれにいて、お互いあまり干渉もしないけれど。

近くの川沿いの桜の道。
夜はライトアップしていたりする。

服装がダサいなぁとか、もう少しゆっくり歩いてくれればいいのにとか、白髪増えたなぁとか思ってしまうけれど、そういうところがことごとく彼らしいから仕方ない。
それでも、今年も一緒に桜を見ている。

年に一度の特別で思い出すのはもう1つ。


『水曜日の情事』というドラマ(2001.10-12)で、本木雅弘さん演じる夫・詠一郎と天海祐希さん演じる妻・あいが、結婚記念日に二人で北京ダックを思いっきり食べる、というもの。ドラマ自体は、妻と妻の親友との間で板挟みになる不倫の話なんだけれど、詠一郎とあいの夫婦関係がとてもサッパリしていて(ベッドは頭合わせに縦に並べて)とてもよかったのだ。(結局は浮気されてしまって関係は崩れてしまうのだけど。)



例えば、桜を見るとか、北京ダックを食べるとか、そうやってどこかのポイントで、角と角を合わせる、みたいなこと。
そこさえ押さえていれば、はてしなく続く(と思われる)日常をただひたすらに過ごしても大丈夫なような(感情は日々刻刻と波打ちながらも)、そんな二人だけのプライベートな決め事って、なんかいい。

それがなきゃもう終わりだとか、それでお互いを縛るみたいな、そういう重たいことじゃないけれど、二人にとっては大切ななにか。

夫は、あくまでも他人で。
私とは違う性の人で。
髭が生えたり、話を聞いていなかったり、私ほど桜が好きじゃないのかもしれない。花火もワインも。

私も、野球も大相撲もゴルフも芋焼酎も、そんなに(夫ほどには)好きじゃないのだし。


それでも、

今年も桜が咲くとソワソワする。

ソワソワしている私を、夫も分かっている。

「桜見に行かないとね」


それでいい。

それならいい。

彼は来年も一緒に桜を見る可能性のある人だと、薄紅の花びらを集めて見せた。

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