
魔法の言葉は車椅子をメガネに/2021-8-25
投稿24日目
今日は私のとある目標について書いていきたい。
正直な話をする。この話題を投稿するかどうかは大いに迷っていた。
この話題は,私の中でかなり大きな目標や思想の一部となっているため,日記の延長で書くべきなのだろうかと悩んだ。
だが,表現しなければ始まらないという思いとともに,今回はライトな概論として紹介してみようと思う。
パラリンピックも開催されているしタイミングもいいだろう。
車椅子とメガネ
おそらく,私のこの魔法な言葉はこの世で既に誰かが唱えていることだろう。
もしかすると大きなテーマとしてもしかすると存在するのかもしれないので,著作権的問題が生じないのかは少し怖かったりもする。
だが,今回は書いていきたい。
最初に断っておくが,これは車椅子とメガネに限った話ではない。
世の中の常識という固定的な見方を考え直すための考え方である。
そのため,熱く車椅子について語っていると感じるかもしれないが,あくまでもこれは具体例の一つである。
そのため,車椅子に限らず杖や義足に白杖でもいい。それこそ補助具に限定する必要もない。
私にとっては車椅子とメガネであったという話だ。
本質的な違い
この「車椅子をメガネに」という考え方は,何度か私が口にしている考え方の一つだ。
おそらく私の京都の友人はもう耳にタコができるほど聞いているだろうし,大学の友人も同じことだろう。
簡単に説明すると,メガネと車椅子の本質的な違いや見方,捉え方に関する内容である。
メガネも車椅子もともに身体の補助具の一つである。視力低下を補うのか,移動を補うのかの違いだ。
だが,この二つには圧倒的な意識の違いがある。
今となっては,メガネに対する印象は特に悪いものはないだろう。ファッショングラスや伊達メガネなど,メガネはもはや本来の役割に留まらないアイテムとなっている。
今の時代に眼鏡をかけていて可哀想だなんて感じる人は少数だろう。
だが,車椅子はどうだろうか。
車椅子は非利用者との距離感が非常に遠いように感じる。障害や病気といったものと密接に関わるものと意識され,可哀想や大変さを象徴するアイテムの一つと捉えられているといっても過言ではないだろう。
また,過言だと言われたとしても,距離感は実際に存在しているように思われる。
本質的には同じ位置に存在するアイテムに,なぜこれほどまでに大きな意識の差,いわば道具そのものへの親やすさに違いがあるのだろうか。
私は誰しもが気軽に車椅子に乗るという選択肢があってもいいのではないだろうかと思う。それが不謹慎であるとはあまり感じない。
それどころか,体調不良でフラフラする人が使えないという方がどうかとすら感じる。
誰しもが支援し,支援される機会があってもいいだろう。
「車椅子=障害がある大変な人専用」という特別なものとして扱い続ける限り,ここには援助者と被援助者という上下関係が生じかねない。
誰しもが自由に車椅子を使えたっていいのではないだろうか。
無論,車椅子に乗って商品棚に突っ込んでふざけるような,一昔前の悪戯のような炎上狙いのものは良くはない。だが,それはこの話に関係なく,車椅子に限らずよろしくない行為に変わりはない。
私は普遍的な立場において,そこには自由に選択できる機会があっていいのではないのだろうかと感じるのだ。
このようなことから,私は車椅子をメガネにしたい。車椅子がメガネのように扱える世界を作りたいし,そんな世界に住んでみたいのだ。
誰しもが扱う機会のある親やすいものになった方が,バリアフリーも進みやすそうにも感じるし。
なぜ魔法の言葉を唱えるのか
なぜ具体例が車椅子とメガネなのかと問われれば,少し返答に困ってしまう。
私の父が生前,片足を切断していたため義足や車椅子を利用していたからかもしれない。もしくは,ホーキング博士の車椅子がかっこいいと感じたからかもしれない。
だが,私は義足や車椅子がかっこいいと感じてしまったのだ。
一度,私はこれを不謹慎であると注意されてしまったが,それでも感じたことは変わらなかった。
また,物理的な騒々しい音は苦手であるが,基本的に私は色々と騒々しいというか忙しない生き方をしている。
そのため,停滞や現状維持はそれができることは素晴らしいことだと思うが,少しつまらなく感じてしまう。おそらく私には向いていない可能性が高い。
そのため,身近にある理由のない常識や非合理的な常識に目を向ける機会がもっとあってもいいように思える。
もっと色々と考えてみてもいいと思う。
だから私は,こういった魔法の言葉を唱えるのだ。
概論と言いながら長くなってしまったが,こういった理由のない不謹慎や常識を突破していくために私はこの言葉を唱え続けるだろう。
ちなみにあくまで具体例の一つといいながら,車椅子の開発現場とかちょっと気になってたりもする。
既に誰かが唱えているのかもしれないが,これが私の目標だ。
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